2014年

5月

08日

退院

退院して家に帰ってきた。病院ではなかなかの量の荷物を運び出すのに看護師さんから、お引っ越しですか、と声をかけられたりしながら。最後もやっぱり、同室の人に挨拶はしなかった。それでも、隣りのベッドに入った人の娘婿がピアノの調律師だってこととか、その奥の人が下剤を飲みつづけてるのに全く効かず困ってることとか、向かいの人が犬を飼っていて今は友達にずっと面倒をみてもらってることとか、斜めの人か外出許可を取って出たけど一瞬ですること無くなって帰ってきたこととか、あそこで寝てる人たちについての新しい情報が、いつもどおり上書きされてる。またしばらくしたら骨の付き具合をチェックするためレントゲンを撮ったりしに来ないといけないけど、ひとまずは、終了。ここの入院日記ももう更新しない。荷物をまとめてたら、リハビリの兄さんが今後やるべきメニューを持ってきてくれた。昨日いろいろと説明を受けるはずだったのが発作でやれなかったので、わかりやすく、わざわざイラスト付きで。ひととおり説明を受けて、挨拶して別れた後しばらくしたらまた病室に戻ってきて、映画の感想を伝られた。前にSFが好きだときいて僕がオススメした映画を、連休中に観たらしい。僕の手元にはまだ、いろんな人が送ったり持ってきたりしてくれた本が何冊か未読のまま残ってる。部屋の掃除でもしながらゆっくり読もうかな

2014年

5月

07日

 

痛みがなぜつらいのかというと、何も出来なくなるからつらい。何もできないほどつらいことはない。どんな嫌なことでも、手を動かすなり頭を動かすなり何かが同時にやれていればまだよくて、でも痛みは行き過ぎると、本当に何も手につかなくなるし頭もはたらかなくなる。何もしないという選択もできない。それがしんどい。発症の日以来で最大の波が来て、早朝からずっと、何をすることも、何を考えることもできなかった。途中、病院の紹介で、看護師さん同伴のもと別の泌尿器科に連れてってもらう。車を待ってる間、刑務所あがりだという地元のおっちゃんに話しかけられたりもしながら。移動して泌尿器科に到着するとまず尿を取るように言われ、トイレに入ると、便器の周りがビッチャビチャ。さすが皆さん泌尿器科にかかるだけのことはある、ということなのか?診察中、こりゃ腫れてるねえ、相当酷いねえ、痛いだろうねえ、と言われながらも、石については自然排出を待ちましょうということで、引き続き水を大量に飲むように、との指示。流れやすくするための薬を処方されたけど、これを飲むには少しでも何か食べないといけないというのが、またきつい。骨折で入院中に結石ができる例は多いらしい。カルシウムが流出して腎臓に溜まるとかなんとか。さらに運動しない水分を取らない状態で、ストレスもあったりするならば、条件は揃ってる。痛みで限界はあるが、安静は良くない、なるべく普通に動いたほうがよい。つまり、入院を伸ばす必要はない。病室に戻って、痛みが治まったのは夕方。注射が効かないもんで、合わせ技で座薬を入れてしばらくしたら徐々に楽になっていった。先生に退院について相談されたので、できるだけ早く出たい意向は変わってないことを伝え、明日退院することに決める。痛み止めの座薬をいくらか処方してもらえることになった。今のうちできるだけ動いて水を飲むのが筋なんだろうが、とてもそんな気にはなれない。安堵で身も心も麻痺してしまって身動きがとれなくなる。 兄ちゃん事故かそれ?カネようさんぶん取ったらええで。相手が悪いんやろ?自分で落ちたんかいな、そらアカンわ。事故はカネもらってなんぼやからな。もう退院か。そらおめでとう、よかったな。でも正味な話、ここあんまりええ病院ちゃうやろ?俺、刑務所おった頃な、血取ったら糖やら内蔵のナンヤラカンヤラ出とったんや。でもその後ここ来たら、何も出てません、異常ありませんいわれてな。ほんで俺その後また刑務所入ってな、ほしたらまた出たんや、前と同じやつ。ちゃんと調べてへんねや。ほんでどこ行くん?泌尿器科?石出たんか、きっついなー。あれ、きっついやろ?俺も刑務所おった頃やったことあるわ、あれ大変やわー。おお、なんや兄ちゃん、こんな若いねえちゃんに連れてってもらうんかいな。そんなことしてくれんの?おもてたよりなんや、ええ病院やなー

2014年

5月

06日

 

石がみつかってさらに、早く退院したいという気持ちに拍車がかかってる。退院して専門の病院でみてほしいというのも少しはあるけど、それよりも、痛がってるときひとりになりたいという気持ちが大きくて。検索するといろんな例が出くるけど、いずれにしても危険な病気ではなく、時間さえかければいつかは症状も収まるということなので、それならば、悶えてる状態をわざわざ人に見せたくない。悶えるほど痛くないときでも、誰かと一緒に笑って会話するにはしんどいことだってある。今日も痛みで目が覚めて注射を打ってもらうも、最初のときほどではない、有り得るレベルの痛さ。でも寝られはしないので、寝たまま腰を浮かせてコルセットを外す。体をよじったり伸ばしたりはできないけど、背中がシーツに直接触れているというだけで、身長がぐっと伸びたように錯覚する。このままうつらうつらして朝になって、また歌がきこえだす。あれから毎日一度はきこえてくる。昨日からは、菅原洋一の「知りたくないの」が何度も何度も。本当にきれいな声で、この人はもともとどこかで歌ってた人なんじゃないだろうか。昼ごろ西光さんが来て腹が減ったというので、昼食を半分づつ食べて、うちの母親も合流して、一緒に病院の近所をぶらぶら。先週リハビリのときに教えてもらった隠れ家的な喫茶店に寄って、暖かいカフェオレを飲みながら煙草を吸う。これも何度妄想したことだろう

2014年

5月

05日

 

今日で怪我からちょうど2ヶ月。もともと退院の時期をみこして大阪に来るつもりでいた母親が駅に着いたというので、外で待ち合わせをする。面会に来ていた友人と一緒に、今回はちゃんと外出許可をとって、タクシーで心斎橋にある大好きなうどん屋まで。早朝から朝にかけてまた例のやつで痛み止めを打っていたので、外出はやめといたら、と看護師さんから忠告されたけど、動けるときに動いたほうが石が早く落ちるという情報を某経験者さんからメールでいただいたので、それに従って行くことにした。痛くなったらすぐ戻ってくればいいだろう、ということで。母親に会うなり、あんたしににてきたわね、と言われて一瞬何のことか理解できなかったけど、ひらがなの「し」に似てるという意味らしく、それは杖をついているからだと説明したら、そうじゃない、とだけ言われた。連休中ということもあってか、いきなり人の多さに酔ってしまう。早くお店に避難しようと先陣を切って歩いていたら、今度は歩き方がロボコップみたいだとさんざん笑われる。うどんは、一口めは沁みたけど、途中からその味の強さにあたってしまい、病院に戻っても、おやつも夕食もぜんぜん食べられなくなってしまった。この2ヶ月決められた時間にしか食べてなかったので、時間がずれたことも関係あるかもしれない。病院までついてきた母親は「お母ちゃん帰ってきて、おねがい」と声をあげるおばあさんを見て祖母のことを思い出したらしく、涙目になっていた。ずっと空いていた隣りのベッドに、久々に新しい人が入院してきた。隣りがいないというのはかなり気が楽なもんで、勝手いうと、この先退院まで誰にも来てほしくなかったし、前のときみたいに怒鳴る人だったら嫌だなあ、とちょっと警戒もする。声の感じだと若くはないけど、思考もはっきりしていて、看護師さんに対しても饒舌なかんじ。どんな症状かはわからないけど、心拍数に応じてアラームがなるらしく、来てすぐからずっとピーピー音が鳴りっぱなし。付き添いの奥さん?に対してしきりに「いつもこんなに鳴るわけやないねんけど、おかしいよなあ、今動いたからやろな、いつもはもっと静かやのになあ」みたいな愚痴をこぼしてるけど、これはきっと僕や周りのベッドの人に向かって言ってくれてるんだろうな。その気づかいに、少し安心する。そのまた奥のベッドの患者は今日から療養病棟に移動して、代わりにもっと若い人が入ってきた。〇〇さん起きてくださいよー、移動ですよ/あれ、仏壇は?/ぶつだん?/おかしいなー、どこ行ったかな、仏壇をみませんでしたか?/仏壇なんてありません、ここ病院ですよ/仏壇もありますよね?/仏壇ないです、移動しますよ/おかしいなー

2014年

5月

04日

 

向かいのベッドのHさんは毎日、痛みのレベルを数値で確認され、痛み止めを処方されてる。5段階のどのあたりですか、4よりちょっと上くらい、じゃあすぐに飲まないとダメですね、みたいに。夜中なんかでも、時々うなされて、ベッドの角度を変えながら耐えてるのがわかる。僕の場合は、入院してわりと早い段階で、じっとしてればほとんど痛みも無くなったので、Hさんが長いこと痛みとともにあることをおもうと、同情せずにはいられない。とはいいつつ同じ病室の人とはなるべく親交を深めたくないし、その気持ちはおそらくこの病室にいる全員が共有していて、顔を合わせることがあっても声を出して挨拶することはない。ただ、Hさんとだけはこれまでで2度、一言ずつ言葉を交わしたことがあって、一度めはそのときにもちょっと書いたけど、隣りのベッドに入院してきたおじさんが、Hさんの歯ぎしりにキレて怒鳴りだした夜のこと。おじさんにちょっと注意してナースコールをしたら、後でHさんから「ごめんなあ」と謝られて「いいえ」と返事した。このころまだHさんという名前もしらなかったけど、入院したてだった隣りのおじさんとは違って、僕はHさんが毎晩痛みと戦ってることを知っていた。2日前、僕に尿路結石がみつかって、でも最初は筋肉痛だと診断されたもんだから、痛みを態度で出すことが恥ずかしくて、悶絶しながらも息を殺してフーフーやりながら耐えていた。すると急に吐き気を催して、ドバーっと胃の中のものを全部戻してしまったとき、その音を聞いたHさんが「梅田さん吐いてるよ」とナースコールした。寝たきりのころ使ってた洗面器から溢れるくらいの液体をでろでろ吐きながら「Hさん、ありがとう」とお礼をすると、Hさんが「いいえ」と応えたのが、2度め。その2回ともがお互いのカーテン越しで交わしたやりとりで、未だにちゃんと顔を見たことはない。痛みは油断してるとやってくる。治まるごとにもう終わったとおもってるので、また始まると本当にうんざりする。どうやら朝方に多いのかな。痛み止めの注射をしてしばらく悶絶してると、少しずつ楽になって、やがて歩けるようになる。食事に手をつけてないのがわかると、痛みを察した看護師さんが一声けけてくれるのだが、向かいのHさんのところでも同じようなやり取りがあるのを聞いて、Hさんも痛みで食べられなかったことがわかる。でも今だとこれが同情には結びつかず、せっかく配膳された食事を無駄にしてしまうことへの妙な共犯意識が芽生えるというか、痛いながらも、ちょっと嬉しい気分になるというか。といってもHさんがどんな人かわからないし僕と違って大変なご病気なので、これは一方的な妄想の話だけど

2014年

5月

03日

 

病室ではときどき時間が止まってる。点滴のぽたぽた落ちるのが、逆にこれを際立たせる。もっと早く落とせませんか、と訊いてみたら、今より少し早く落とすのは構わないが、それでも1本1時間半くらいはかかるのだそうで、2本連続でやると最低でも3時間は時間が止まってしまうことになる。止まってる間にも、小さくどこからかまた歌が聞こえてくる。病室の外にも止まったままの人がいて、ここと、止まったまま同士で同期してる。午前中はまだ昨日と同じ症状があって痛み止めを打ってもらったけど、それからしばらく横になってたらだんだん治まって、トイレや水汲みも自分でやれるまでに回復。食事も普通に取れるようになった。にしても再発が怖いので、ベッドで大人しくしたまま水を飲みつづけ、一日で水を5リットル飲み、同量かそれ以上の小便を出した、ような気になった。このまま痛みが引いてしまったなら、とりあえず今の症状はクリアしたことになるので、後は退院してから泌尿器科で詳しく見てもらうように、と、先生からの指示。それにしても、やっと退院してまた別の病院に行くとは。しかも尿路結石なんて、タイミングも病名も絶妙に間が抜けてる。今がいちばん病院に免疫ついてるはずなんで、足が遠のく前に、退院したタイミングでそのまま行くことにしよう。夜になっても痛みは再発しなかった。それでも横になったままで、さらに水をがぶ飲みしつづける。寝る前に食べ物を口にしないと、なかなか寝付けない。夕食のとき一緒に間食?を取っておけばよかった

2014年

5月

02日

 

早朝、目が覚めて顔を洗ってベッドに戻ると、突然左の背中に激痛が走り、横になっても治まらない。先生に状況を伝えたら、昨日までがあっての今日なんで、筋肉痛か、筋を違えたかだろう、てことで痛み止めを処方される。リハビリも休んで、どうにか気持ちで安静に持ってって寝ようと試みるも、一瞬でも忘れられるような痛みじゃない。マッサージも効果ないし、食事も全くとれないし、とってないのに胃から戻すしで、さすがに様子がおかしいということになり内科の先生も同行してもらってCTを撮ったら、尿路結石と診断された。そこから痛み止めが飲み薬じゃなく筋肉注射になり、利尿のための点滴が始まって、しばらくすると、小さな虫の声のような耳鳴りとちょっとした麻酔感覚のしびれがあって、背中の左側がドクドクと脈打つのと同時に、唇がけいれんした。日が沈むころ、やっと痛みが和らいできた。胃にあった液体をぜんぶ戻してすっからかんにしたら気分もよくなり、尿路結石って何?とおもってネットで調べたら、今日自分が体験したこと全て腑に落ちる、典型的な症状だった。寝たきりのときお腹をこわさないように水分を控えていたことや、寝る前までチョコレートなどを食べつづけたことも原因だったかもしれない。今になっておもえば、ちょっとずつ予兆もあったな。でも痛みの正体がはっきりしてよかった。ここでどこまで治療できるか知らないけど、とりあえず水をどんどん飲んで、どんどん尿を出すしかないらしい。リハビリの兄さんが帰るとき「連休中、体調よくなったらやっといてください、また水曜日に来ますんで」とトレーニングの器具を置いてってくれた。入院した頃、退院はゴールデンウィークくらいかな、なんて話してたのを思い出す。今日は長い一日だった

2014年

5月

01日

 

レントゲンを撮りに放射線科まで、今度こそひとりで。もう骨の写真はみなかったけど、何も言われないということは問題なし。Breaker Projectが集めたO才のレポートが送られてきたので、ひとつひとつに目を通す。長い。そして誰ひとり同じことを書いてない。ただ共通してるのは、なんらかの迷いや戸惑いが感じられること。柳本さんから、開けてしまったドアを閉じることは考えていたか、と問われる。確かに、あれからずっと開きっ放しだ。まだまだその先に知らないことが多すぎて、閉じる気になんかなれない。レポートに目を通す限り、それはたぶん僕だけじゃないかもしれない。作品としてどうかではなく、経験として後戻りできなくなっているということ。とりあえずどうしよう。どう引き受けてどう全うしたらいいだろう。大家さんが屋上のプレハブをひとつトレーニングルームにしたというので、退院後のリハビリはそこでやらせてもらうことになった。同時に退院するときは迎えに来るから連絡するように、との連絡。ありがたい。帰ったらまず駅前の商店街にあるラーメンが食べたい

2014年

4月

30日

 

エレベーター前に公衆電話が置かれたスペースがあって、携帯電話の使用が許可されてる。時々ここでジャージのポケットに片手突っ込んでガラ悪く喋ってる強面のおっさんがいて、口が悪く偉そうなんで、闇金かなんかの人が取り立てに来てるのかなとおもってたら、この病院の院長だった。そういえば、僕が寝たきりの頃からカーテン越しでよく聞いていた、患者の回診に来て喋っていた声と一緒だ。口は悪いわりに言ってることは患者よりで親身だな、とおもいながらも、こんな喋りの人がまさか先生だとは想像してなくて、やたら知識のある偉そうなおっさんだなーとおもっていた。実際は相当に腕のたつ外科の先生だそうで、口も態度もめちゃくちゃだけど親身になるのは間違いなく、患者からの信頼は厚いらしい。この態度はやはり土地がらで培われたものなのか、以前病院がもっと治安の悪い場所にあったころは、理不尽に絡んで来る患者と毎日どつきあいしてたという噂もあるとか。最近でも、食事をとらずにどんどん痩せて憔悴していく患者のベッドを蹴りながら「メシ食うか胃に穴開けられるか今すぐ決めんかいワレ〜」と脅して、その後その患者は泣きながら食事をとるようになり見事に回復したらしい。リハビリのときに近くのお店に連れてってもらい、夜読書をするためLED用の電池を買ったら、サイズを間違えていたのでひとりで換えに戻った。外に出ることは、もう特別なことでも何でもない。許可はもらってないけど、そんなこと緊張の理由にはならない。帰りに仕事あけの介護士さんとすれ違ったけど、それも普通に挨拶してやり過ごす。病室でまた歌がきこえてきたので、そっと廊下に出て、声のする部屋を覗いておどろいた。歌ってるのは、最近ヒステリーに大声をあげている女性その人だった。歌ってるときは穏やかな顔で、歌い終わってしばらくすると、またヒステリックになる。昨日までの僕はこの人の声に悩み、昨日の僕はこの人の声に救われたのか。人ってやっぱり人なんだなあ。全然理解できない

2014年

4月

29日

 

僕がいる階は、集中治療や、比較的症状の重い人たちが入院している病棟だということを、今まで知らなかった。他の階はもっとゆったりした療養のための病棟なんだって。これを聞いて廊下を歩くと、これまでとは少し見え方が変わってくる。僕がいる病室は廊下の奥なので、エレベーターを降りてからここまで来るのに、病棟を縦に突っ切る必要がある。自分にはいつものことだけど、初めての人、今まで面会に来てくれた人たちは、ときに誰かが大声で助けを求め、ときに誰かが慌ただしく処置に駆け回るなか、どういう気持ちでここを通過してきたのだろう。微々なんていつもひとりで来てあっけらかんとしてるけど、自分だったら小学生の頃、ひとりでここを通ってこれただろうか。ナースステーションの奥にある集中治療室の存在に気づいたのも、ほんの数日前だ。同じ日に、リハビリのため非常階段を歩いて1階から出たとき、またストレッチャーに乗って布をかけられた遺体と遭遇した。今度は家族に付き添われた状態で、外に出ていくところだった。夕方から、どこかの病室で誰か歌っているのが聞こえる。ずっといた人が今日になって歌いだしたのか、歌う誰かが今日入院してきたのか。ゆったりとしたハミングで、とてもきれいな声。このところ大声をあげてわめいたり怒鳴ったりする人が多くなってるので、これをなだめているように聞こえる。どんなに気にしてないつもりでいても、大声をあげられつづけるとしんどい。病室まで同じだったら、相当なもんだろう。僕も寝たきりのときに怒鳴る人が隣りにいたことがあるのでわかる。誰かが「エーデルワイスや」と言ってるけど、違う。いま聞こえてきてるのは菊池章子の「星の流れに」だ。歌うのは自分のためかもしれないし、大声をあげる人のためかもしれないし、周りの人のためか、そのいずれでもないかもしれない。でも少なくともこの場には響いた。とてもよく聞こえていた。また歌ってくれるだろうか。今日はリハビリも休みで、久しぶりに会う人とゆっくり話ができてよかった。今の生活に曜日も何もないけど、なんとなく、この2ヶ月で初めて祝日を過ごしているという実感。松見くんが屋上で髪を切ってくれた。カバンから養生シートとマスキングテープを取り出して、切った毛が散らないようにチャチャっと、鮮やかな手つきで。途中雨が降ってベンチでお茶してるとき、初めて屋上で自分以外の患者と遭遇するも、気を使われてしまったのか、すぐにいなくなった。北西に見える高層ビル群は、弁天町にある高さ日本一のマンションらしい、そういえば

2014年

4月

28日

 

月をまたぐとまた保険の手続きが必要になるため、できるだけ今月中に退院したいと、少し前から病院に伝えていた。これを受けて今朝、先生の判断として、やはり今月中の退院はむずかしいので、もう少し入院を継続しながらリハビリをつづけることに決まった。説明を受けてる段階では正直ちょっと納得がいかない気持ちがあったけど、その後リハビリ室に移動して、目の前のイスに置かれた物を拾うように言われたときに、自分にはこれが出来ないことを自覚して、入院継続もまあ仕方ないと納得した。立ったまま膝を曲げたら、前傾姿勢を取ることができない。これまで、リハビリのメニューをとんとん拍子に攻略して来たので、お兄さんからも「ついに壁にぶちあたりましたね」と言われた。ある程度、物を持ち上げるときの体の使い方を覚えておかないと腰に変な負荷をかけてしまうし、転んだりしたら、せっかくくっつきかけてる骨がまた離れてしまうことも有り得るということで。最近歩けるようになって、勝手に月の終わりで退院する気満々になっていたから、たとえ一週間やそこらの延長でも、先は長いと感じてしまう。でも外出許可は出してもらえるそうなので、ここにきていよいよどうどうと外を出歩ける。ただ、許可証を申請したり時間帯が制限されてたり、なにかと手続きが面倒でもある。夜、ある出来事についての連絡をもらって、心配になって友人に連絡したら、その友人が病院を訪ねてきた。ほんの数時間でいいので外に出られませんか、と看護師さんにかいつまんで事情を説明したら、まだ病院に残っていた先生が来て、常に誰かと一緒であればという条件付きで外出を許可してくれた。外にはまた別の友人が車で待っていて、一緒に向かった先には、またまた別の友人がいた。それから、そのちょっとした問題を解決しようとして集まったメンツで、今出来ることをかんがえて、やれるだけのことはやって、解散した。病院に送ってもらって、消灯後の病室に戻るとき、寝たきりの患者の世話をしていた看護師さんがヒソヒソ声で「おかえりなさい」と言ってくれた。久しぶりの外の世界との接触はこれでおしまい。外にいる間に、煙草を5本吸った

2014年

4月

27日

 

今僕が食べてるのが普通食として、入院食にはその前段階となるものがもう3種類あるそうで、以前食べいてた、人参をすりおろしたサラダだったり、麩を出汁に浸したおかずなんかはひとつ前の段階のもので、いちばん極端なものは、すべての食材がすりおろされてドロドロにまぜられたような流動食で、味付けもほとんどされてないらしい。と聞くとこれはこれで興味深いというか、一度食べてみたい気もするけど、継続して食べることになるとキツいだろう。いちばん内蔵や身体にも負担をかけないし、癖も刺激も無いのでどんな人が食べても害がない。でもそうした結果、味がつまらない。それって食事に限らず、広くなにかの例えで使われそうな話じゃないか。夜中から明け方にかけて、おーい、おーい、と大声で怒鳴る男。初期に聞こえていたものとは違って、もっと高圧的で、偉そうで、何をしてほしいのか、どんな主張があるのかは知らないけど、聞いてて不快。毎回こんな呼び方されたら腹も立つだろうし、大したことじゃないなら放っとくのがいいとおもうが、それにしてもこの人、無視されててもいっこうに心が折れず、延々大声で怒鳴りつづける。誰かに来てほしいというよりも、ついでで別の鬱憤を晴らしてるのかもしれない。以前、父方の祖父が亡くなったときに、お通夜の斎場の2階の皆が飲み交わす席で、母方の叔父がひとり、父方の祖父の兄弟たちに囲まれてアウェー状態で座っていた。そこに祖父の弟、僕にとっての大叔父が「来てくれてありがとね、楽にして、飲んでって」と声をかけ、ビールを注ごうとした。母方の叔父の手元にはコップがなかったため、大叔父は自分の奥さんに持ってきてもらおうと「おーい」と声をかけたら、叔父はさっと腰を浮かせて「先輩、おいはいかんですよ、おいは。ものば頼むときにはちゃんと名前ば呼ばにゃあ」と大叔父に顔を近づけて注意していた

2014年

4月

26日

 

歩くようになると、必然的に他の患者とも顔を合わせるようになるので、何度かすれ違って顔を覚えてしまった人に対してどうふるまったらいいかで悩む。これが病院でなかったら、こんにちは、と挨拶をするのが普通だけど、病室はカーテンで仕切られてるだけで外と筒抜けなんで、挨拶きっかけに関係が近くなって、ベッドまで話しに来られたりしたら面倒だという意識がはたらいてしまう。実際に、向かいの病室では患者同士が仲良く話してるのが聞こえてくるし、場合によっては自分もこうなってしまう可能性が無いとは言い切れない。今のところ、すれ違いざまに軽く会釈はするけど、できるだけ心は開かずにおくという、わりと最低な選択をしてしまっていて、もし話しかけられたら応えるけど、なるべくそそくさとその場を去るようにしている。そして、階段をのぼれるようになるための練習と自分に言い訳をつくって、しょっちゅう屋上に行っては、そこでひとりの時間を過ごす。では、ベッドの上で一日を終えていたついこの間まで、この屋上に代わるものは何だったかを今になって考えると、これは映画だったんじゃないか。寝る前はここぞとばかりにDVDで映画をみていて、それも、一度見た作品を見返すことばかりしていた。以前、大阪である展覧会のため過酷な状況がつづいていたときに、夜中に毎晩、田舎の静かな風景がうつる映画を見つづけていて、展覧会がオープンして、次の仕事のためフランスのポン=ド=バレという小さな村に移動したら、今度は都市がうつる映画を無性に見たくなった経験がある。都市にいて田舎を、田舎にいて都市を見たいとおもう気持ちが、映画を見ることの根本にある。今は、病室という都市にいて、屋上という田舎に出かけてるようなものか。あるいはその反対かもしれないけど

2014年

4月

25日

 

僕はどうやら大阪の北西部をぜんぜん知らない。西淀川区とか、たまに湾岸線から見ることがあるくらいで、歩いたことがない。屋上から高いビルが3つ4つ見えるのはホテルだろうか。遠くで電車が走るのを、その音が、後からいちいち追いかけてく。電車はあまり乗らないけど、遠くから眺めるのは目に耳にとても心地がいい。面会に来た友人たちが、僕のお菓子の食べ方をみて「骨溶けるで」と注意する。骨をつけるために入院してるのに、溶かしてしまってはいけない。数日前にお粥じゃなくて普通のごはんにしてくださいと栄養士さんにお願いして、なんとなく忘れられたまま過ぎて、今朝もお粥を食べ、お昼も食べようとしていたところを「ちょっと待って、取り替えてきたるわ」と介護さんにお椀を持ってかれた。しばらく待つと、なんとカレーライスが届いた。まさか、お粥の代わりにカレーライスをもらえるなんて。病院とカレーの組み合わせが自分のなかでフィクションになりすぎて、目の前にあることがナンセンスに感じられた。これまで寝る前に何度妄想したことか。ブラウザのブックマークに「カレー」というフォルダをつくって、この先行く気もないお店の情報を集めたり、面会に来た人にこれを紹介して代わりに行ってもらって、感想を求めたりしていた。食べてる姿を誰にもみられたくなくて、お膳を下げる看護師さんも面会人も来るなとおもいながら食べた。入院食をこんなに味わって食べたことはない。そして、実はカレーよりも衝撃だったのが、白ごはんの存在。自分はお粥が好きな人間で、白ごはんとお粥ならどちらでも大して変わらないとおもっていた。だから、体を起こしてからの変更も、そう強くは主張してこなかった。でも、今日およそ2ヶ月ぶりに白ごはんを食べて、食事におけるそれぞれの役割の違いを痛感した。寝たきりで食べるにお粥は最適だけど、通常の食事は、白ごはんで食べるようにちゃんと考えられている。カレーだけじゃない、夕飯のときもそうで、これまで栄養をとるため、おなかを満たすためとおもって食べていた薄味のおかずや、冷めた汁物が、ちゃんとおいしく感じられる。お粥だと、口の中で薄味のおかずが水分と混ざって一回一回リセットされるので、すっかり味気ないものになってしまっていた。白ごはんとお粥は、それ自体が似ていても、周りがすっかり違うものになってしまうのか。お粥の食事があたりまえになりすぎて、こんな単純なことを今まで考えもしなかった

2014年

4月

24日

 

義肢担当のおじさんの話だと、コルセットを付けて生活していたら固めてある部分のバネや柔軟性が落ちていくので、体を動かさずして筋肉を動かすという技術を体得し、寝ながら汗だくになるまでそれをやるといいらしい。なんかやたら高度なことを云われてるような気もするけど、とりあえず技術をつけるのはいいとして、コルセットで汗だくになるのは嫌だなあ。でも今日ついにいすに座った状態でシャワーを浴びることができたので、今後は気軽に汗も流せるかもしれない。最初なので介助付きではあったけど、お風呂に入るという体験を取り戻す実感があった。最初から最後まで自分で作業することで、同時に初めてリラックスできたのだとおもう。トイレも同じで、自分ひとりで行くようになって数日たつけど、未だに、毎回、その瞬間、隔離された空間にひとりで座れていることを有り難いとおもう。体を動かすうちに、退院した後のことも具体的に妄想するようになった。退院したらいろいろと生活習慣が変わるだろうから、むしろ積極的にかえてみるとして。畳をぜんぶはがしてフローリングにして、座いすもやめて腰掛けにして、本もレコードも洋服もぜんぶ、自分の腰より高い位置から取るように棚付けする。リハビリのお兄さんに相談してみたら、ゆっくりでも、コルセットの制限のなか節度を持って作業するのであれば、それはとてもいいリハビリになるだろう、とのことだった。午前と午後で一日二回のリハビリを終えたら、そのまま屋上に行って少し涼んでから病室に戻る。場所としての魅力がないのか、寝たきりの人が多いからなのか、屋上ではまだ他の患者と会ったことがない。出来ればこのまま誰にも知られたくない

2014年

4月

23日

 

体重が少しだけ戻っていた。リハビリを始めてから、食後は毎回ねむくて仕方ない。実際昼寝もするようになったし、本を読むでも何ををするでもなく、ただぼーっとしてる時間が増えた。体を動かしてる分、そうじゃないときに脳を休めようとしているのかも。寝たきりのときは、寝てることにも緊張感があった。自力で動けないことがきっかけで、考えざるを得ないことが山ほどあったし、そのことをいつも気にしてないといけなかった。今だとリハビリで歩いてる時間がこれに近くて、いつ倒れるかもわからないから、体の動かし方について常に注意を払い、考えながら行動する。この先自由に歩けるようになると、今度はまた別のところに不自由さ=緊張状態を求めるようになって、それが結局のところ作品をつくるだとかの仕事につながっていくのかもしれない。今日は歩行器も外して、杖をつきながら病院の中を歩く。杖をつくことで、自分の利き足や、重心の取り方のくせがわかる。退院と同時に今ある不自由な環境から一気に解放されてしまうとしたら、それはそれで勿体ないことのような気がしてきた。退院後も杖をついたりコルセットをつけたまま過ごさないといけないことが、ある意味で有り難いような、入院生活から手土産をいただくような、そんな気分

2014年

4月

22日

 

トイレに向かう廊下で「抜け出したらあかんよ」とか「あちこち行かんように」と注意され、血圧を測るタイミングで「監視カメラ、ばっちり映ってたみたいですね、ふふふ」と笑われ、エレベーターに乗るとき視線を感じて、自分から小声で、リハビリ行ってきまーす、とつぶやいたりして、リハビリに行くと「梅田さんのカルテに、外に出ようとしているところに遭遇、って書いてありましたわ」といわれる。これまで、歩く、立ちあがる、といった当たり前の動作を、ここまで細かく脳内分析して、意識を集中させるなんてことなかった。まだまだ自由に動かせないところも含めて、ちょっと、他人の体に意識が乗り移ってるようでもある。どんどん動作のメニューが増えて、リハビリ全体の時間も長くなり、進行のペースも早くやれてるので、近々歩行器がなくても外を歩けるようになるはず。大家さんが、先週末退院したことを自ら報告に来てくれた。入院中の病院食や早い消灯時間がいかに辛かったかいう話を聞きながら、そういった不満が少し懐かくも感じられる。自分はもうすっかり慣れたのかもしれない。食べたいものは食べたいし、家でひとりになって寝たいとおもうけど、それはそれ、その時が来たらでいい。10月に延期になったフィリピンの日程がほぼ決定したのを受けて、録音で同行してもらう西川くんと打ち合せ。山岳地帯カヤン村における合唱団のプロジェクトで、現地の報告もいろいろと届きはじめてる。停電が頻繁で、水が止まったら近くの水源まで汲みにいくとか、宿も食堂もないから近所のお母さんたちが食事を担当してくれるとか、今現在自分がおかれている環境、この入院生活とのギャップにクラクラくる。この企画がお蔵入りにならず、延期ですんでよかった。松尾さんと雨森さんがBreaker Projectのドキュメント本の報告のついでに、僕がネット通販で買ってそのまま事務所に送りつづけていたCD等もろもろを持ってきてくれた。スタッフの面々もおすすめの本なんかを持ってきてくれるので、入院生活が充実する反面、どんどん病室にモノが増えてゆく。あまり増やすとまた看護師さんに叱られるので、読み終わったり聴いた端から棚の中に閉まって、増えてないように見せかけてはいる。最後は東京に住んでるはずなのになぜか病室でよく見かける西光さんもいたので、相部屋で何人もいるのもどうかとおもって、皆で屋上に移動した。暗くなっていくなか、誰かと誰かが話すのを眺めてるのが楽しい。会話の内容は適当に聞きながしながら

 

 

2014年

4月

21日

 

レントゲン、もう自分で行けますかね、場所わかります?と訊かれて、はいわかります、と答えたけど、ぜんぜんわかってなかった。これまでストレッチャーで寝たまま行ってたので、方向と位置関係が掴めてなかった。ついにベッドの角度を90°まで上げる。午前中のリハビリの内容を受けて、院内の移動にも、車いすをやめて歩行器を借りることになった。リハビリの兄さんは僕の体つきをみて、僕のこれまでの肩こりの原因は、腕のちからでなんでもやりすぎるところにあると指摘する。筋肉のバランスでわかるんだって。言われてみるとまさにそのとおりで、普段からモノを持つも運ぶもぜんぶ腕でやってしまってる。ということは、力が落ちてる今がチャンスで、これからもっとバランスよく体をつかうことを覚えると肩こりも消せるということか。体のことにはこれまで興味がなかったけど、ちゃんと知らないと使いこなせない、普段使ってる道具やなんやと何も変わらない、と考えたら少し面白くなってきた。リハビリから戻ったら小沢さんが面会に来てくれていた。ヘルニアで1ヶ月寝込んでいたらしく、結局また、お互いの体の話。これはつまり年を取ったということで、楽しい話のトピックがひとつ増えたようなことなのかもしれない。話の盛り上がりついでに調子に乗って少し外に出ようとしたら、最初の駐車場を抜け出すところでもたもたして先生と鉢合わせてしまい、そのまま無言でUターンして病室まで戻ってきた。えらい気まずかった。戻ってくるとき、出入りする裏口のところで、布で覆われたまま外に運ばれていくストレッチャーとすれ違う。瞬間で「あ、死体」と感づいて、胸がざわつくのと同時に、なんだかわからない違和感をもった。あのときの違和感が何によるものだったのかをしばらく考えて、ストレッチャーを囲んでいたのが病院のスタッフだけで、遺族や友人らしい人がいなかったことに気づく。するとそこには情緒のようなものはなく、だから「遺体」ではなく「死体」と感じたのかもしれない。あらためてそうか、病院とはそういうところなのだ

2014年

4月

20日

 

フリーマーケット帰りのみなちゃんやシンジたちが来て、しらっと車いすごと近所の商店街まで連れ出してくれた。行き交う人に圧倒される。小さな商店街でたいした人出じゃない、むしろ閑散としてるけど、自分が車いすであるということが緊張を強いる。お店の人に覗き込まれたくないので、できるだけ店の中を見ない振りをしながら、でも本当はどこもかしこも気になって仕方がない。皆が歩幅を僕のペースにあわせてくれるのも、道の真ん中を進んでるのも、対抗の歩行者や自転車が自分をよけてくれるのも、それぞれの気遣いをスルーしてる自分がいちいち気になる。気にしなくていいとわかっていながら、まだまだ慣れない。夢にまで見た食べ物を横目に、どんどん通過する。うどん屋も喫茶店もあったけど、入るのは遠慮しておいた。ここまで来たら、今の自分にとっていちばんのうどんが食べたいし、いちばんの喫茶店に行きたい。病院に戻るとき「入り口に監視カメラあるやん!もう帰られへん!」と日海、8才。外に出るときも、スパイ映画さながらの動きだった。向かいのベッドのHさんはよくスポーツ新聞を読みながら、ボールペンを持って競馬だか競艇だかの予想をしてる。夜は痛みであまり寝られなくて、時々うめき声がきこえることもあるくらいだけど、日中は日課のように予想して、面会に来た友達と話をする。 ほな馬券買うといたるわ、しっかり治しや。ちゃんと食わなあかんで、じぶんどんどん痩せていっとるやないか/めし食う気にならんねん/食う気になるならんやなくて、何か食わな死んでまうで。好きなもん買うてきたるわ、何がええねん/頼んでええんか/ええから言いや、何がええ?/あんな、おれ、もう10年とは言わん、20年くらい買うたこともないねんけど/何やねん、高いもんか?/いや、高くない/ほな早よ言いな、すぐ買うてくるわ/ええんかほんまに/ええから言いや/コーラ/コーラ?コーラて飲みもんのコーラかいな、よっしゃ、下の自販機で買うてきたる、ちょっと待っとき/あんな/おう何や、他にもあんのかいな/そんな高いもんやない、300円くらいので、あれやったら食べられる気がするねんけど/何やねん、買うてきたるがな/ほっかほか亭のな、玉子丼、お願いしてええかな/玉子丼な、よっしゃ、ちょっと待っとき/あんな/何や/もし売り切れやったら/売り切れはないやろ/でももし売ってなかったら、カツ丼でもええわ/カツ丼?じぶんカツ丼食べれんのかいな。ほんまはカツ丼が食いたいんか?/あれやったら、食べられる気がするねん/わかった、食いたいもん食うたらええがな/あんな/おう、まだあるんか/モルヒネって手に入らんかな/やめとけやお前/痛いから/そらわかるけど、ここ病院やで、先生に相談せえ/あかんか/あかん。コーラとカツ丼すぐ買うてきたるわ、待っとけ

2014年

4月

19日

 

夜中に叫び声をあげていたおばあさんは、朝からナースステーションの前で駄々をこねてる。筋のとおらないことがほとんど、要は誰かにかまってほしいだけ。看護師や介護職のスタッフはこれを適度に聞き流して、ほとんど取り合わない。きっといつものことで、そもそもかまってる暇もないだろう。赤ん坊や小さい子供ならどんなに駄々をこねてもいいし、周囲の人から一方的で献身的な愛情を注いでもらえる。泣き出したら、すぐに誰かがかけつけてくれる。でも一度年を取ってしまうと、そうはならない。どんな状況であれ、一度大人になった人は、一方的に受け身であることを、なかなか許してはもらえない。与えられるだけでなく、与えることを知ってるはずだから。もし記憶や知識がすっかりなくなったとしても、それだけは忘れずに残ってると、信じてるのか、信じたいのか。そのどっちだろう。今日は土曜で主治医の先生が休みだからと、リハビリのお兄さんが外に連れ出してくれた。まず午前に歩行器を使って歩く練習をして、午後にその足で病院の外周を歩く。もう、歩行器で歩いても膝が笑わなくなった。「先生にバレたら怒られますけど、駐車場に車が停まってなかったんで大丈夫ですわ」 このお兄さん、見た目かなり若そうだけど、しっかりしていて指導がわかりやすく、いま起こってる症状や、今後起こりえる後遺症についても丁寧に説明してくれる。「ここの公園ね、よく患者さんが煙草吸いにきてはりますよ。お年を召した患者さんで吸うたらあかんて言われてる人もいますけど、今更やめるくらいなら死んでもええいう人が多いんでね、僕は見て見ぬ振りしてますわ。病院の中やったら注意しますけど、ここまで出てきたらもう、ねえ」 ぐるっと回って病院にもどって、明日は自分も休みだから自分でやっといてください、と病室にトレーニングの器具を持ってきてくれた

2014年

4月

18日

 

リハビリのお兄さんに仕事内容などをいろいろと質問されて、自分が普段どういう作業をしながら、どういう行動をとっていて、そのとき身体はどう動いているかをあらためて考える。これに応じて、座ったまま腕や肩の軽いトレーニングがメニューに追加された。できるだけ早く復帰できるようにちゃんと治しましょうということで、お兄さんから先生にも相談してもらいながら、でも時々は現場の判断で、先生からの指示を無視したりもしながら。歩くだけでもずいぶん回数を増やしたので、明日は筋肉痛かもしれない。もう少し先になりそうだけど、退院後の療養期間でやっておきたいことをリストに書き出してみた。作品や仕事のことを抜きで考えても、部屋の掃除とか、スタジオの改装とか、途中で行かなくなってる歯医者とか、ぜんぶをやるには1ヶ月そこらではぜんぜん足りない。加えて面倒くさい雑務まで考えだすと退院へのモチベーションが下がってしまいそうなので、年内達成の目標に変更する。夜中、女性がパニックをおこしたような叫び声。あわせて、パタパタとつめよる足音、目が覚めてしまった人、ついでにトイレに立つ人、全体が静かにざわつく。似たような状況は前にも何度かあって、そんなとき自分はもっと緊張していた。でも今はベッドの隣りに車いすが停めてあって、その気になればいつでも自分で状況を確認しに行くことが出来る。だから、安心してまた眠ることだってできる

2014年

4月

17日

 

森山くんから、大家さんがバイクで転倒して入院したことを知らされる。50年生きて初めての入院だそうで、ベッド上で「梅ちゃんと同じ手続きしなあかんわー」と笑ってたらしい。やたら不吉でおどろおどろしいところに入院してるというので、話をよくよく聞いたら、僕が以前右手を手術した病院だった。患者の都合にあわせてすぐ手術してくれることで評判のところ。当時、僕が診察待ちのとき真っ黒に日焼けした強面の兄ちゃんが入って来て、受付で「昨日の夜に○△□いうのが運び込まれとらんか」と問い合わせるその手にはしっかり鉄パイプが握りしめられていたという、世にも恐ろしいところ。大家さんには今回なにかと世話になったのでお見舞いに行きたいけど、退院は大家さんのほうが先らしい。森山くんに支えられながら、談話室の体重計に乗ってみた。コルセットの分を差し引くと、5kgは減ってる。体重は10年以上変化してないので、僕にとっては珍しいこと。リハビリ室に移動して、平行棒の間を歩く練習が本格的に始まった。手で身体を支えて何往復かしながら、感覚を取り戻していく。膝が笑ってるような状態なので、曲げてしまうとそのまま一気に崩れ落ちそうになる。それでもわりと手応えがあって、リハビリ担当のお兄さんも反応が良い。体重のことを話したら、戻すには少なくとも2ヶ月はかかるだろうとのこと。空いてる時間に他の運動をやってもよいかを、お兄さんから先生に相談してもらえることになった。で、あっという間に却下されてた。今はまだ平行棒の間を歩くだけにして、運動は様子をみながら少しずつ増やしていく。ついでに、トイレも自分で行っていいのは大便だけと釘を刺されてしまった。あまり勝手に動き回ってはいけないと。シャワーも独り立ちできるとおもってたけど、今日はまだ寝たままの介護付きだった。でもこれはこれでもうずいぶん慣れて、最初の頃みたく水を飲まなくなった。リハビリは午前と午後の2回。午後の回が終わって戻ったら、気を失うように眠っていた。運動らしいことをしないので自覚しづらいけど、ちゃんと疲れているらしい

2014年

4月

16日

 

朝から座る練習をつづけて、お昼を過ぎた頃には背もたれが無くてもふらつかなくなった。ただ座ってるだけで上達を実感できるという、お手軽な成長。車いすを自走できるタイプに変更してもらって、まずは水を汲みに給水器まで移動し、ペットボトルに水を汲んで戻るのを2往復。連続で徹夜した後のような、頭の先と足のつま先が自分のものではないかのような感覚が少し。昨日とは違って、廊下も談話室もナースステーションも冷静に観察することができた。思っていた通り、というより思っていた以上に、周りの患者は老人ばかり。談話室に体重計があるので、手放しで立てるようになったらまず乗ってみようとおもう。そして、トイレで立ち小便をすることが叶った。拍子抜けするくらいあっさりと。手すりと壁に体重をかけて一気に放出しながら、なんだかよくわからない気分になる。さよならとただいまを同時に言ってるような。立ち上がりは看護師さんに手伝ってもらったので、今後ひとりで立ったり座ったりするのはどうすれば可能か、車いすはトイレ内でどう停めていれば楽に動けるか、次なる大きな山、というか大きな便に向けてのシミュレーションをしておいた。昨日からひとつひとつことを成していくごとに、発見はあるけど、とくにこれといった達成感はない。普段の生活を取り戻していくことが、これまでとは全然違うスピードで起こりはじめてる。それがあまりに淡々としていて、あっという間に慣れて当たりまえになってしまうことに、むしろうっすらと背徳のような気持ちすら感じる。屋上があるというのでエレベーターに乗って行こうとしたら、看護師さんに止められた。先生に相談してもらったところ、病院の中であれば、付き添いがいれば移動してもよいということだったので、後に微々と松井さんが来たときに3人で屋上へ上がって、6週間ぶりに外の空気を浴びた。海の方になみはや大橋がみえる。ウッドデッキで囲まれた屋上風情のない空間だけど、やはりこればっかりは感慨深かった。せっかくのチャンスなので、先生の忠告を無視して外にも出してもらった。はじめて見る病院の外観。一周してもらって裏に喫茶店をみつけたので、近々ここに来るかもしれない。煙草も吸うかもしれない。下手したら今この瞬間、このまま家に帰ってカップラーメンを食べて寝ることだってできるじゃないか。あんなに待ち望んだビッグイベントである一方で、外に出ることでさえも、あっという間に慣れて当たりまえのことになっていく

2014年

4月

15日

 

先生と看護師さんのサポートで、リクライニングのついた大きい車いすに移動する。全身から冷や汗。胃酸が逆流してきたけど、気持ち悪くはない。でも緊張がものすごくて、あごが痛い、口の中が渇いてたまらない。ペットボトルの水を飲みながら、ドキドキで病室の外へ出る。同室の人たちの顔を見ることができない。廊下ですれ違う看護師さんも別人みたいだ。今まで下から見上げたことしかなかったから、顔が全然違って緊張する。あー車いす乗ってる!みたいに声をかけられると一応会釈はするけど、恥ずかしくて直視できない。ナースステーションの前の談話室に入って、窓際で停車。じゃあここで小一時間くらい日光浴でもしますか、と言われて、そのまま放置。この車いすは自走できないので、放置されるともう身動きがとれない。そんな無茶な、とおもいつつも、平静を装ってベッドから持ってきた読みかけの本を開くも、活字を目でなぞっても全く頭に入ってこない。まず、後ろのナースステーションが気になる。それぞれ一人ずつしか会ったことのない看護師さんたちが一同に介している。頭で考えると当たり前のことと理解できても、実際ものすごい違和感だ。一緒になるはずのない人たちが同じ空間で存在しているかのような、ファミコンジャンプのような、アベンジャーズのような。もちろん直視できるわけがないので、後ろに気配を感じながら、本を読もうと努力する。目の前の窓を開けてもらって、15センチくらいの隙間から、今度は外の景色をみる。とくに感慨深いこともなく、あー電車が走ってるなとか、自転車に乗ってるなとか、大きいもの抱えて歩く人だなとか、ただそういうことの連続なのに、一時も目を離さずに延々と見続けてしまう。車のノイズが凄い。まったく途切れない。ステレオ感がものすごい。差し込む日差しも、吹き込む風も温かい。歩いてる人の服装もすっかり薄着になってる。情報量に圧倒されて、もう本を読むことはあきらめた。よぼよぼのおじいさんが、お茶を汲んで僕の隣りに座る。最初は話しかけられたらどうしようかと焦ったが、どうやら観葉植物みたいな人だったので安心する。でも緊張状態はなかなか解かれない。先生に「顔色いいですね」と声をかけられて「あんたに会えるとおもうとね」と返すおばあさん。その隣りでは「トイレに連れてけー」と泣きだすおばあさん。しばらくして、病室につれて帰ってもらったとき、ちょっと調子に乗って立ってみようとしたら、足も体も全く言うことを聞かず、立とうとしたことすら伝わらない謎の動きになった。ベッドに戻って、ならば座るのはどうだろうとやってみたら、やはり背もたれ無しではひっくり返ってしまう。どうやら体が、立ち方と座り方を忘れてしまった。これは筋力の問題だけじゃなくて、三半規管が弱くなってるような印象。ゆっくり慣れていくしかないんだろう。小便をするのにも、最初は寝たままでは出すことができなかったのが、今は寝ないと出せなくなってしまった。もちろん立ったら出来るんだろうけど、少なくともベッドの角度を上げた状態だとまったく出てくれない。歯磨きも、座ったままだとしっくりこなくて、無意識にベッドを倒してしまう。逆に言うと、体の習慣なんて1ヶ月やそこらで簡単に変えてしまえるということか。寛太くんがやって来て、丸亀の展示の動画と写真を見せてくれた。ちょっとしたことで、前よりいい展示になったとおもう。展覧会の最終日にここでやる子供のパフォーマンスが、退院して最初の仕事になる予定。こないだカシューナッツと間違ってかじったイヤホンにとどめを刺してしまったので、アップルストアで新しいものを注文する。値段が高くなってるとおもったら、そうか消費税が上がったのか

2014年

4月

14日

 

ベッドの角度60°。視界的にはもう普通に座ってるのとかわらない。ふらふらしたり腰が座らない感じがあるけど、頭痛はキレイさっぱりなくなった。それよりも、長いこと座ってなかったからお尻がいたい。体に前後の感覚がはっきりして、カーテンの外から聞こえてくる音がより立体的になった。でも病室の窓は厚く、屋外の音はほとんど聞こえてこない。ただぼーっと座ってるだけで時間が過ぎていく。本を読もうとしても、見え方と聞こえ方が変化したせいで、気が散って座ることと両立できない。ベッドの高さを最高にしても。窓の外はまだ見ることができない。明日は試しに車いすに乗ってみるらしい。車いすに乗れるかでなく、カーテンの外へ出ることに不安を感じる。寛太くんから丸亀の美術館に到着したとの連絡。同時に、さやさんから安治川にはヌートリアという獣が住んでいるらしいという連絡。今やるべきことをやらなければいけないので、寛太くんと作業についてテキストのやり取りをすすめながら、でも本当はヌートリアのほうが気になって仕方ないので、合間にヌートリアのことを調べては、その情報そのまま寛太くんに送りつづけた。寛太くんには展示会場で不安のある箇所を中心に作品全般を確認してもらって、もし時間に余裕があれば、作品そのものをアップグレードしてもらう予定だった。そのために、松尾さんや竹崎さん、有元さんらの協力のもと、方々から作品のパーツを美術館に集めてもらっていた。最終的に作品のメンテナンスは無事に完了。アップグレードについては考えていたうちの半分が実現できたとの報告をもらえたので、丸亀についてはこれで一安心、ずいぶん気が楽になった。ただ、今回みたいな遠隔での作業はもうこりごりだし、巻き込んでしまった人たちにも本当に迷惑をかけた。遠隔でやるなら、作品自体を最初からその呈でもって、現場にいないことが面白さと取れるような内容でつくってないと成立しない。ソウルのパフォーマンスもそうだけど、なんとかその場は乗り切ることができても、実際に現場にいて確認したものじゃないと、決して自分が納得できるものにはならない。仮にそれがいい作品だったとしても

 

2014年

4月

13日

 

古賀さんは、ここが想像していた病院とイメージが違うのだそうで、もっと死神病棟みたいなのを想像してたのかどうか知らないけど、似たようなことを言う人は割といて、おもったよりキレイだとか、大きいとか、新しいとか。いずれにしても、病室を出ることができず、つい数日前まで寝たきりだった僕はまだこの病院の外観も内装も見たことがないので、何ともコメントしようがない。40日も寝泊まりしていて、それなりに馴染んでて意識もはっきりしてるのに、自分が今どんなとこにいるかが分からないままだなんて。新しく入院して来たおじいさんは猫を4匹飼っていて、どうやらその猫がらみで事故にあって運ばれて来たらしい。看護師さんんとやり取りしてる会話がちょいちょい聞こえて来るけど、記憶が曖昧なのか、あまりはっきりしたことを話さない。先週出て行った短気なおじさんも、自分が病院にいることを自覚するのに時間がかかっていたし、運ばれて来て「ここはどこだ」みたいな、ドラマなんかで使い古されたような展開が、実際に身の回りで頻発している。十何年か前に、気がつくと病院にいたということが僕にもあった。病室を訪ねて来る人たちの話だと、頭を打って、しばらくして気を失って、そのまま丸一日以上眠りつづけていたのだという。どうして頭を打ったのかとか、どうやって病院まで来たのかとか自分ではまったく覚えてなくて、どうやら頭を打つ前2日分の記憶がキレイさっぱり飛んでしまっていた。先生からは、消えた記憶はもう戻ってこないと説明を受け、財布の中に半券が入っていた映画は、内容も行ったことも全く覚えてなかった。でも、その2日間の記憶以外はばっちり鮮明で、痛みも後遺症なにもない。頭を打つと、こういうことは普通にあるのだそうで、その後も同じような体験をした知人に会ったりしたけど、どう説明されようが、やっぱり奇妙な感覚だ。今になって考えても。なんかサイバーパンクな気分になってきた。ひとりで大きい音で音楽が聞きたい。イヤホンやヘッドホンじゃなくスピーカーで聞きたい。病院というところは、妄想を深めていくと、どんな世界とも接続可能な気がする

2014年

4月

12日

 

ヤフオクでレコードを買い始めた。今のうち買っておくと退院が楽しみになるというのもあるけど、なによりヤフオクをやるには普段の生活よりも今の状況のほうが適していることに気づいた。今なら他の用事もなく、探すのに時間をかけられるし、入札したことを忘れたりしないので、終了の時間にパソコンを開いて張っとけば確実に落とせる。あとこれも今こそやってみたらと、微々がニンテンドーDSを置いていった。ひとまず脳トレだけでもやってみてほしいと言われ、脳トレもやったことなければ、これまで一度もテレビゲームを所有したことがないので、まずは電源の入れ方から何から丁寧にメールで教えてもらう。とはいってもまあ操作は簡単なので、手始めに脳年齢チェックというのをやってみたら、あなたの脳は61才ですと表示され、ショックで電源を切った。コルセットで身軽になったのはいいけど、ベッドを起こすとすぐにずれて固定がうまくいかない。これからは体の一部になるので、早いとこ慣れてしまいたい。まあやんが、植野さんが飾った桜の絵を見るなり「これはないわ」と言って棚の奥に隠してしまった。やっぱり他の人もそう思うんだな。おかげで部屋が少し明るくなった

2014年

4月

11日

 

ベッドを45°起こすと、食事のとき目が使えるようになる。見て選んだものを取って食べるので、順番や食べ合わせを考えたり、時間を調節したりできる。みそ汁をお椀から直接飲めるようになったし、主食はお粥でなくてもいいので、スプーンより箸のほうが使いやすくもなる。いただきますをやるにも違和感がなくなった。同室の人の顔がちらほら見え隠れするようにもなった。看護師さんが出て行ったあとのカーテンの隙間から、斜め向かいのおじいさんの姿が見えたりすると、なんだか慣れない、落ち着かない気分になる。ラップトップの操作がやり易くなったので、この文章も昨日までより格段に打ちやすい。仕事のメール返信を渋ることへの、自分に対する言い訳ができなくなってしまうのがつらい。ただし副作用もあって、今朝はすこぶる体調がよかったのに、ベッドを起こしてわりとすぐ頭痛がはじまって、今もなくならない。回診に来た先生によると、急に体を起こしためまいみたいなもんだから、何日かかけて次第に慣れていくしかないらしい。手で首回りをほぐしたりベッドや枕の角度を変えたりするも効果がないので、仕方なく別の刺激で誤摩化そうとワサビふりかけをさらさら舐めてやり過ごす。アヒルの決闘の〇〇さんが退院していった。迎えに来た友人と一緒に出て行く姿がチラッとカーテンの隙間からみえて、おどろいた。思ってたよりずいぶん若い人だ。ぱっと見50代くらいで、わりと体が大きくて、表情もしっかりしている。あの体つきからあの声が出るなんて想像できない。話し声はふにゃふにゃで支離滅裂で、かなり年配の印象だったのに。姿を知ってしまうと、ぶーぶー垂れ流していたおならだとか、夜でもお構いなしでノリノリの鼻歌だとか、ベッドを叩いてリズムを取っていたことだとか、あらゆる行動に全く愛嬌を感じられなくなって、アヒルの決闘だって元ネタがあったかどうか怪しくおもえてきた。どうやら僕は、与えられた情報から、自分にとって都合のいい人物像をつくりあげて勝手に納得していただけだったらしい。今まで姿が見えてなくてよかった

2014年

4月

10日

 

週に一度のレントゲンと、こっちの病院に移って2度めのCTスキャン。入院初日に撮ったCTと比較しながら症状を見せてもらえた。背骨を断面図でみると、お餅のような源氏パイのようなうにゃっとした形状のものが並んだ状態になっていて、その中のひとつが割れて広がってるのが1ヶ月前の写真。今日撮った写真だと、その割れて空洞になったヒビの部分が白く埋まってきているのがわかる。広がった骨の破片が収束するというよりも、広がったまま隙間が埋まってく感じなんだ。ギブスも外れ、コルセットに代わった。ギブスが外れた体はどんなグロテスクなものになってるかと期待していたけど、そういう意味では見た目になんら変わりなかった。コルセットを作った義肢担当のおじさんが、真顔のまま不安を煽るような冗談を言うすっとぼけた人で、なんだか信頼できる。コルセットは骨組みでできていて、おもっていたほど夏も暑くなさそうでよかった。今日からこれを巻いて、ベッドにも角度をつけていく。まずは45°起こすところから。早ければ来週には車いすの練習もはじまる。車いすで動けるようになったら、誰かが一緒であれば外にも出られるらしい。外に出られるってことは、帰りにコンビニで買い食いしたりできるということなのか。急展開すぎて、状況の変化に気持ちがついていかない。そしてストレッチャーのままで、1ヶ月ぶりのシャワー。洗ってくれたのが前回のときと同じ介護職の人で、ずいぶん胴回りが細くなったと言われた。しかも至る所キズのように菜箸の掻きあとがあるとか。外に出ない運動しないとなると汚れることはほとんどないので、洗うと皮膚がふやけて、真っ白いまま皮が剥ける。頭と顔は自分で洗えるけど、真上を向いたまま漱ぐと、どうしても水が鼻から入ってきてむせてしまう。それでも髪の毛を掴んで頭をガシガシ洗える快感といったらなかった。動けないなりにも、全身が軽くなったような気がした。短いけど特別な時間だった

2014年

4月

09日

 

相部屋の人たちがいるので、遅くなると灯りも消さないといけないし、音も立てられない。看護師さんもいつ見回りに来るかわからないとなると、最初はイヤホンで落語やラジオを聞いたりしてるのが、だんだんそれも疲れてくると、暗いなか目を閉じて考えごとくらいしかやることがなくて、考えるのも曖昧なくらい頭がぼんやりしてくると、食べ物のことを妄想し始める。そしてその時間がちょっとした楽しみだったりする。病院食の反動か、早く外に出たいだけなのか。以前、長時間のフライトで機内食がついてなくて、買いたくても在庫が無く、関空についたら何を食べるかを延々妄想しつづけたことがあった。まず自分がいま何をいちばん食べたいかを、関空のお店を一店舗ずつ思い出しながら検証してゆき、うどんにしよう、と決めたら今度はうどんのメニューを妄想の中で一品ずつ注文して、ぜんぶ食べて出汁を飲み終えたあとの満足感までをシミュレーションしていった。もはや絶対失敗したくなかったから。結果、妄想が功を奏して、あのとき食べたきざみうどん大盛りは格別だった。まあきっと何を食べても美味しい状況だったともおもうけど。渡邉くんから映画が数本届いたなかかに、CSで録画したという「蜂の巣の子供たち」があったのでドライブに入れたら、再生できない。確認したらDVDプレーヤーでしか再生されませんので退院後にどうぞ、と添え書きがあった。先々月シネヌーヴォの清水宏特集上映のときに本作と続編2作の合わせて3本を一気に観て、その台詞に影響されまくって、現場で真似ばかりしていた。誰も気づいてくれないのに。これ以降映画館に行ってないので、今も書きながら頭の中では主題歌がぐるぐる鳴ってる。2作め「その後の蜂の巣の子供たち」冒頭のよし坊のメタ台詞の破壊力がもの凄くて、場内の観客全員が目に見えるくらいのリアクションで仰け反ってKOされていた。これぞ映画館における映画体験と言ってもいいくらいに。いつかこの場面のパロディみたいなことをやってみたい。どこか軽い場で

2014年

4月

08日

 

面会の人が突然やって来るのは、人に会いに行くというよりお店に行くような感覚に近いところがあるのかもしれない。お酒を飲まないので行きつけのバーなんかの感覚はわからないけど、自分にとってはレコード屋に行くときの感覚と近いような気がする。あるいは知人の事務所なんかに、仕事とは関係なく顔を出すときとか。病院に行くということはそれだけでもうお見舞いという動機があるし、携帯電話なんかの通信機器と病院との相性の悪さもあるだろうけど、相手が忙しいということもまず有り得ないので、予定や所在を確認する必要もない。一昔前の青春映画なんかで、相手のことが気になったりちょっと土産話があるだけで家まで出かけてって、玄関をノックして留守だったら帰る、なんて描写があるのをみると、この頃はそれが普通だったのだということにちょっとびっくりするけど、病院には今もこれに近い習慣が残ってる気がする。無意識に、自然な感覚として。皆さんのなかにトイレで隠れて煙草を吸った人はいませんよね?臭いがしてましたけどトイレで煙草吸ったら絶対ダメですよー、と看護師さんに言われて、おじいさんたちが一斉に「はーい」と返事した。 このところ首から上が凝りがちなので先生に相談したら、体を動かしてないからだと言われた。動かせないから相談したけど、まあ仕方ないってことか。頭が痛くなると音楽も聞きたくなくなるからいけない。上体が少しでも起こせるようになっら、リハビリも始まる、のかな?きっと。ギブスがコルセットに代わるまであと2日。はやく木曜になれ。カシューナッツを食べながら書いてたら「ガリ」って、間違ってイヤホンをかじってしまった

2014年

4月

07日

 

毎日だいたい7:30、12:00、17:30頃に食事が配膳される。この食事の時間だけは、普段テレビをみて笑ってる人も、独り言を言ったり歌ったりする人も、普段から全く音を立てない人も、全員が等しく黙りこくって、ひたすら咀嚼する音だけが病室に響く。箸やスプーンで食器をこするカチャカチャした音と、汁物をすするズズズ、飲み込むゴクリ、噛むときのぺちゃぺちゃモグモグくちゃくちゃパクパク。文字にすると品がないように感じるけど、周囲が静かだから際立つのであって、音が大きいわけじゃない。しんとした病室で、顔もみたことのない人たちと、同じタイミングで、同じような音を立てながら、同じものを食べている。寛太くんとスカイプで打ち合せ。病室なので筆談を交えながら、来週お願いしている丸亀の展示のメンテナンスとアップデート作業の確認。怪我をしてすぐの段階で、実際に何をやるかはっきりしないまま、展示で何かあったら助けてほしいとお願いしてあった。打ち合せといいながらほとんどは雑談に終始したけど、寛太くんが行けば間違いないという信頼があるので、この作業が終われば丸亀の作品が変なかたちで夢に登場することもなくなるだろう。窓際の桜がほぼ散って、残り一輪となる。一昨日くらいから外は寒く、昨日はヒョウが降ったらしい。大家さんが役所で健康保険の限度額申請を手続きしてくれたので、退院してからの生活の見通しが立った。先生の話では、コルセットになったら少しずつベッドを起こして、座る練習を始めていくらしい。ベッドに座れば、とりあえず窓の外を眺めることができる。窓は西側だから、なみはや大橋が見えるかもしれない。自転車で渡ると、潮や鉄のにおいと一緒に大阪のほとんどが見渡せる。真下の埠頭から見上げるのもいい。どちらの景色もぜんぜんきれいじゃないけど、大好きな場所

 

2014年

4月

06日

 

昨日にひきつづき、今度はBreaker Projectドキュメント用の取材。昨日とは違ったアングルで、O才と、Breaker Projectとの共同作業における3年間を総括するような話。2日前にも雨森さんが来て、インタビューのさわりの部分だけやって、人が来て中断したけど、その部分だけでもうすでに文字起こしが大変だったらしい。以前から何度か指摘されてることだけど、僕の発言には主語が欠けていて、しかもテーマがポンポン横にとんでくので、会話で理解した気になっていても、文字に起こすと意味不明、ということがざらなんだそうで。まあでもそこは気にせず好きに話してください、と了解を得ての取材だったけど、訊かれたことに対して本当のことだけを正直にこたえようとすると、活字にして人前に出してはいけないのでは?と危惧するような、ちょっと危険な考えが見え隠れして怖くもなる。たとえば人間関係においては、ときに口にしてはいけない言葉というものがあって、一言が、決定的に関係を破壊してしまうほどの暴力性を帯びることがある。でもそれって、自分自身のなかでも起こりえて、今この感情を正直に肯定してしまうと、他人との溝が決定的に深まってしまったり、自分の殻に閉じこもって出られなくなったりしないだろうか、という気持ちになることが、普段の生活のなかでもあるような気がする。僕は今、他人の世話になりながら、毎日ただ仰向けになって、寝たまま目覚め、寝たまま食事をし、排泄をし、疲労し、寝る、という生活を繰り返している。こうなる前から予定していたことは、ほとんど実現できない。でも、正直な気持ちをいうと、そこにあるのは悔しさだけではない。先の予定が一気に立ち消えてしまったことに対する安堵がある。人間って本来、何もやらなくても十分繁殖して生きていけるはずで、それでも勝手に何かやりはじめて、勝手にそこで役割をみつけて、勝手に責任を負って、どんどん膨らんで後に引けなくなる。正直僕なんてそんなたいした仕事も役割もないので、仕事が犠牲になるだけだったら、いつだって辞められるし、いつ無くしたっていいとおもってる。でも、仕事よりも大きく膨らんだ人や場との縁があるから、関係があるから、それを支えに生きているから、簡単には辞められないし、無くせない。そこを、怪我がすべて帳消しにしてくれた。怪我をしたおかげで、予定していた仕事を台無しにしても、誰からも責められない。実際には責められてるかもしれないけど、少なくとも僕の耳にそれは入ってこない。それどころか、ありがたい言葉をかけられ、いつも励まされている。もちろん台無しにしてしまったことは悔しいし申し訳ないし残念でならないけど、そんなことは当たり前で、最初からわかってたことだ。毎日の生活で犠牲になることも多い。でも、それだけじゃないということ。このまま本当にすべてが終わっていたらどうなったか、と考えてしまう自分もどこかにいるということ。かといって、じゃあこの状況を「うらやましい」とか言われてしまうと、「代わりましょうか?」となるし、これを書いている今この瞬間だって、外に飛び出したくて仕方がないのだけど。取材で話したのはもうちょっと違うことだけど、きわどいところも含めて笑い話にできたからよかった。それはたぶん活字にはならないだろうけど、話していて楽しかった。隣りのおじさんは自ら希望して病室を移ったようで、ここもまた静かな状態に戻った。これで、はぎしりのおじいさんも安心して寝られるだろう

2014年

4月

05日

 

怪我からちょうど一ヶ月。京都造形大学が運営するウェブマガジンにおける特集記事のインタビューで、細馬さんと対談の日。僕が入院してしまってる状況なので、朝から夕方までベッドごと個室に運んでもらって、途中お弁当休憩を挟んでの約4時間。そもそもあった企画の趣旨から若干逸れて、話のほとんどがO才にまつわる内容となったけど、もしかしたら、細馬さんの中ではそこは決め打ちで来たようなところもあったのかも知れない。それくらい、あの展示から多くを受けとってもらえていることが言葉の端々から感じられて、作り手としてはとても有り難いのと同時に、さすがの知識に裏打ちされた独特の言い回しがきけて楽しかった。テーマはかなり深いところまで及んでるけど、体験を共有していない人のことを考えないまま質問に答えてしまってる部分がわりとあるので、編集が大変そう。そこはスミマセンがよろしくお願いしますということで。とくに何をしたわけでもないのに、夜はそれなりに疲れていて早めに寝るも、隣りに入ってきたばかりのおやじが夜中に急に大声で怒鳴りだして起こされる。もともといる歯ぎしりするおじいさんに、うるさいんだよ、と理不尽な怒りをぶちまけ、おじいさんから、お前もいびきがうるさいくせに、と返され、そのまましばらくやり合う展開。文句を言ってどうこうなる問題じゃないし、言われてたまったもんじゃないだろう。最初この部屋に入ってきた日は僕もいろいろ気になったから、まあ、おやじもナーバスになってるのかな、とは推測するけれど。滅入ってても仕様がないので、ヘッドホンで竹内まりやをきいて、そのまま米朝の地獄八景亡者戯をきいてうつらうつらしてたら朝になった

2014年

4月

04日

 

「〇〇さん今日血糖値高いね」「そう?おかしいな」「きのう何か食べました?」「いや、何も」「私きのう、売店から何か買って戻る〇〇さん見ましたよ、カス、、」「カステラ食べました」「ですよねー」明日神戸でライブのテニスコーツが来て、桜の木の油絵を飾ってった。植野さんの家の以前の住人は画家のおばあさんで、たくさんの絵を残したまま亡くなったもので、親族がその絵を処分しようとするときに勿体ないからと譲り受けたなかの一枚。おととい桜の花が生けられたときは、文字通り花が咲いて病室がぱっと明るくなったような印象だったのに、その横に桜の木の油絵が飾られたとたんに、なんともいえない悲壮感が漂ってきて、このまま一生桜がみれないんじゃないだろうかという暗い気分になってきた。植野さんのフォーク集、曲を単体で聞くとフォークなのに、連続して長いこと聞いてるとだんだんMEGO周辺の音楽きいてるような気分になる、と伝えたら、似たようなことを別の2人から言われたそうで、一人からは、民族音楽をきいてる気分になってくる、と言われ、もう一人からは、地獄にいるような気分になった、と言われたらしい。僕がこの部屋にきて以来、ずっと空いていた隣りのベッドに誰か入ってきた。看護師さんたちと入室してきて、治療のことや施設のこと、ごはんや洗濯などもろもろ説明を受けて、一人になってしばらくしてふいに「もしかしたら本当に病院か?、、どうやらこれは夢じゃないぞ、、おれはいま、病院にいるらしい、、、」と独り言を話しだした。これを受けてさやさんからも、また別の話。ある人の友人は、突然倒れて病院に担ぎ込まれ、手術で一命を取り留めて、しばらく入院することになった。目は開いてるのだけど話すことはなく、話しかけても時々涙を流すだけでこれといった反応はなかったのが、一ヶ月後、急にすらすら話し始めて、これまで話しかけられても一言も口にしなかった理由を「ぜんぶ夢だとおもっていたから」だと説明した。気がついたら病室に寝ていて、動けず、家族や知り合いが周りで話をしている状況がすべて夢だとおもえて、「長い夢だなー」と感じながら目が覚めるのを待っていたのだという

2014年

4月

03日

 

ギブスカットに行くとき、ダメもとでもう一度看護師さんにシャワーのことを訊いてみたら、ストレッチャーで寝たままやったらいけるんちゃいます?ってことで、希望を持って先生に確認してもらって、いったん条件付きでOKが出て、晴れてシャワーが解禁、、されたのも束の間、その後二転三転して、結局はギブスを巻き直してあと一週間辛抱することになった。でも一度はできると思ってしまったもんだから、やっぱりダメとなったときの落胆といったらなく、顛末を見ていた看護師さんたちに同情され、せめて髪だけでも、ということで洗髪してもらえた。おかげで頭はすっきり。ギブスはグラインダーでカットする。医者はわりと電動工具を使うことに気づいたのは3年前に右手を手術したときのことで、複雑骨折にボルトを打つときなんて、まず電動ドリルで穴をあけて、次に先をドライバーに付け替えてボルトを締めるわけで。手術中は、自分の右手は直接見えないように、肩の辺りについたてが立てられていたのだけど、レントゲン映像のモニターは常時僕も見ることができた。麻酔で右半身の感覚が無くなってるから、何をされてる感覚もないし、モニターに写ってる右手の骨の映像も、自分のものではないような感覚になる。そのうちモニターの上部からドリルの刃先が回転しながら降りて来て、いざその刃先が骨に触れた瞬間、ガガガガガガ、、、と鎖骨あたりを経由して頭蓋骨まで振動が伝わってきて、そのときになって初めて、そうだこれは自分の腕だった、と自覚しなおすのだ。あともうひとつ興味深い体験があって、麻酔で感覚の無い右手を手術中に先生がひっくり返したり持ち上げたりすることがあって、感覚がないので何をされても自覚なんかないのだけど、持ち上げられた手がついたてを超えて自分の視界に入ってくると、いま自分の腕がそこにあるのだ、ということを、はっきりと自覚できる、その感覚が生まれる。つまり感覚よりも知覚のほうが先にあって、それを感覚が追いかけて来る。でも先の例でいうと、モニター越しだと知覚があっても実感には及ばない。これは自分にとって面白い発見だったので、パフォーマンスなんかでもときどき応用してる。今回は手術ではないので今のところ地味な変化しかないけど、一週間後にはコルセットが出来上がってくるので、それから少しずつ生活にも変化がある、のかな、たぶん。少なくともストレッチャーでシャワーが浴びられる。それだけでも、一週間後が待ち遠しい

2014年

4月

02日

 

赤松ちゃんが桜の枝先をつんで窓際に生けてくれた。桜はいまがちょうど満開で、この週末くらいが最後じゃないかと看護師さん。もうすぐ12才になる微々のところに、熊本のおばさんより、という名目でうちの母親からプレゼントが届いたそうで、そもそもこの習慣もなんで続いてるのかよくわからないのだけど、箱の中身は2種類のくまもんのぬいぐるみで、添えられていた手紙には「ひとつ選んで、いらないほうは哲也にあげてください」と書かれていたらしい。12才にぬいぐるみの地点ですでにどうかとおもうけど、僕なんかこの歳になって、しかも病室で、誕生日でもないのに。去年の夏、バンコクまで展示の下見に行ったとき、年度末に近年の日本のアニメーションを特集した映画祭をやるのだときいて「カラフル」をおすすめしたら、その後プログラム担当のスタッフが見て、タイ語に翻訳されて、先月の映画祭で上映され、とても評判がよかったとのこと。たまたまのことで、自分はこの作品とまったく関係ない、ただひとりの観客だけど、口コミってちゃんとつながっていくんだなあ。というわけで今日また見返してみて、最初みたときはさほど気にしてなかったお父さんとラーメンを食べるシーンが大好きになった

2014年

4月

01日

 

木曜日にギブスをカットすることが決まった。カットして採寸して、今度はコルセットをつくる。ギブスと肌の隙間から菜箸を差し込んで、ゆっくり出し入れしながら痒いところを探す日課が、ついに終わる。それよりなによりストレッチャーに乗ってシャワーが浴びられるのでは?と一瞬テンションが跳ね上がったが、それはまだ却下された。塚原ファミリーが、一昨日刷り上がったというタブロイド紙を届けにきた。バター餅と駄菓子と一緒に。タブロイドには僕が病室から寄稿した中利さんのインタビューや塚原シェフの調理日記も載ってるけど、最後の志賀理江子の手記を読むためにあるような冊子だとおもった。少なくとも僕とcontact Gonzoにとっては。去年の奥入瀬については語りたくない。それは、水産保養所という作品を、その出来事を、まだ自分のなかで何一つ処理できずにいるから。やりたいことをやったし、いい作品だと胸を張って言えるけど、好きな作品とは言いたくない。得たものは多くあっても、壊してしまったものも多い。芸術祭の展示は終わっても、自分のなかでは何も終わらせることができず、ずっとあの場所が気になりつづけていた。春夏秋と長い時間を過ごした場所に、冬の間になんとかして訪れたいと思っていた。そして今月アタマ、ついに訪れたまさにその場所で、うっかり怪我までしてしまったけど。O才の前夜、理江子ちゃんはこの原稿を僕らに読ませるためだけに大阪まで来た。そして僕が読み終わると、本当にそのまま宮城に帰って行った。このテキストで彼女が言葉にしたようなプロセスが、当然僕にも必要だったし、だからそれは日常的に、言葉とは遠いところでやっているつもり。外に出せるのはいつになるかわからないし、かたちになるかどうかもわからないけど、とりあえずやりつづけている。春になって外に出やすくなったのか、今日は珍しく面会がつづいて、夕飯のあと、狭いカーテンの中で3組がごちゃ混ぜになった。面会の終了時刻まであと20分、辰巳くんと中川さんが近所の商店街で買ってきたのは、ホルモン焼きと台湾ラーメンとソースたこ焼き。皆で食べられるものを、と買い物を頼んだのは僕だけど、僕を含めた患者全員が味気ない病院食を食べおわったばかりのこの病室に、アツアツの焼き肉とラーメンとソースの香ばしいにおい、、これは自由すぎはしないだろうか。周りの患者さんに迷惑じゃないだろうか。なんだか悪いことをしているような気になってきて、その場にいた全員が次第にひそひそ声になって、そのうち無言になって、においが逃げないようにフタを開け閉めしながら、アツアツのたこ焼きを頬張って窒息しそうになったり、全く音を立てないまま激辛のラーメンをすすったり、焼き肉のタレを服と床にこぼして慌てたり。口の中がぴりぴりする、痛い、麻痺してきた、タレがこぼれた、焼き肉のタレ、でかい声で言うなや、はやく拭かんとにおいつくやんか、やばい染みてる、焼き肉焼き肉って、声に出してバレたらどうすんねん、、もうとっくにバレてるとおもうし、そもそも誰にバレるのか、何故バレてはいけないのかもよくわからない。でも、ひそひそ声のまま繰り広げられる醜い小競り合いをベッドから眺めながら、病室でこんなバカ騒ぎができるんだな、とおもうと少し嬉しくなった

2014年

3月

31日

 

「はじめは動いていた」のときの運営スタッフだった学生の宇崎さんと河原くんが訪ねてきた。あれから3年、企画がスタートしたとき1年生だった2人とももう卒業、かとおもいきや、河原くんはもう1年間学生をやるらしい。当時スタッフだった学生たちが今どこで何をしてるか、それぞれ就職が決まっていたり、他にやりたいことがあって学校を辞めたり。そしてまた音楽の話。いまの学生が聞いてる音楽って、僕が学生だったころとほとんど変わってない。映画でも同じで、僕が学生だった90年代くらいまでは、10年もすればぜんぜん違うトレンドやムーブメントが生まれていたし、あの頃は、これからインターネットを通過した新しい価値観がどんどん生まれて文化のパラダイムシフトが起こる、みたいなことが頻繁に言われていた。再生方式や上映形態など、聞き方や見方は流通や情報量に応じてずいぶん変わったのに、そこから音楽そのもの、映画そのものはそれほど大きく変わっていかない。どうして怪我したの?ジャンプして着地した先に見えない穴があって、気づいたらキレイにそこにハマってそのまま落っこちた。ありのままのことを言ってるのに、いつも自分自身が狐につままれたような気分になる。最近自分が生まれた前後の日本映画をみていて、今日は81年の「遠雷」。思ってたのとずいぶん違うとおもったら、どうやら同じ永島敏行主演の「サード」と記憶のなかで混ざってしまっていた。どちらもいい映画だけど、今日僕がみたかったのは「サード」のほうだった。この頃までの日本映画って、夏の暑い日の描写だと、見てるこっちも本当に蒸し暑くなる。「遠雷」ではっきり覚えていたのは、青くて生々しいトマトのにおい。見てる間ずっと、本当にトマトのにおいがする。病室に飲み水を届けに来た微々は、洋服を買いに行くから、とすぐ帰って行った。街は買い物客でごった返してるらしい。明日から消費税が上がることには、当然だけど全く実感がわかない。植野さんのフォーク引き語り集を聞こうとおもって、閉じられたCDの封を開けたらアメリカンスピリッツのにおいがした。煙草のにおいと一緒に聞く音楽。ゴロワースを吸ったことがあるかい。お昼にも煮物をこぼして看護師さんに迷惑をかけたばかりなのに、夕飯のみそ汁をこぼしてしまい、心が折れて箸を置く。Tシャツもシーツも、本日2度めの交換。巡回の音で目が覚めたとき、それまで見ていた夢、夢の中で見ていた映画のつづきが気になって寝付けなくなる。寝ないと見られないのに、見てないから寝られない。南米の砂漠で人探しをする映画で、主演は渡瀬恒彦だったような気がする。〇〇さんがおならをした後、小さい声で、ごめん、と謝った。誰に謝ったのかわからないけど

2014年

3月

30日

 

男がいなくなったベッドが、きれいに掃除されてる。あの人ね、家に帰ったのよ、大人しい人やってんけどね、急にどうちゃったんでしょう。昨日来た友人が言ってたように、彼にはここの生活が耐えられなかった。どんな状況であれ、そこに居づらい人はいる。状況が違えば、その場から消えてしまいたくなるようなことは、自分にだってたくさんある。皆同じようなテンションで、なんとなく笑顔で、あなたも楽しいでしょ?みたいな空気が充満してるときとか。互いを監視しあうかのように、全員で一斉に同じことを哀れんでるような空気とか。強いものが支配していて、その強いもの自身が、己の強さに全く無自覚で成立している空気とか。そういう状況になることがあらかじめ予測できていれば、外に出ることなく、布団にくるまって寝てることもできる。でも、その現場に居合わせてしまうことのほうが圧倒的に多く、そのときはもう、逃げ出すか、破壊するしかない。逃げては壊して、壊しては逃げて。ときには壊しすぎて、ちょっと周りに迷惑をかけて。そしていつも、そのつけを払って。ずっとそうやって、周りを、自分を、だましだましやってきたような気もする。「どうしたん?」「さっきそこに猫おってな」「猫おらんよ」「いや、さっきおってんよ、そこにすーって入ってった」「猫はおらん、ここ病院やからね、猫は入ってこられへんよ」「いや、でもさっき、、」「おらん、さ、ベッドに帰ってや、もうすぐごはんよ」

2014年

3月

29日

 

面会時間の終わり際に友人が来て、自分ならこういう入院生活に耐えられない、不安で発狂しそうになる、と言った。僕は全くそんなことないけど、状況次第では、そうなってしまう心理もわかる。たとえば火事や地震やテロが起きたら。でも友人が言ってるのはそういうことじゃない。話をしていたら、急にカーテンが開いて、知らない男がじっと見ている。僕らがうるさかったのだろうとおもい、スミマセンもう帰ります、と言ったら無言のままいなくなった。この病室の患者らしいが、あんな若い人がいたとは知らなかった。そもそも最初からいたのか、昨日今日入院したのかもわからない。友人が帰って、しばらく本を読んで、メールを2~3通返して、灯りを消し、ラジオを聞きながら寝る。ふと人の気配がしたので、看護師さんが尿瓶を取りに来たのだとおもって薄目を開けたら、さっきの男がカーテンの隙間から覗き込んでる。真っ暗で顔もなにも見えないけど、なんとなくのシルエットでわかる。何か?と尋ねたら逃げるようにすっといなくなった。せっかく眠るとこだったのに。またうつらうつらし始めたころ、今度は別の方向から気配を感じて目を開くと、さっきと反対側のカーテンがゆっくり動いてる。さっきの男が中を覗き込もうとしてるのがわかったので、枕元の壁をドンと叩いて、おい、と言ったら、さっとその場を離れて、いかにもその辺りを歩いていただけです、と言わんばかりに不自然な動きをする。それからはもう油断も隙もならないので、じっとカーテンの外に耳を澄ます。ときどきブツブツなにか言ったかとおもうと、病室の中を行ったり来たりして、廊下へと出て行く。外では雨が降っていて、対面のおじいさんは、いつも飲んでる痛み止めが効いてるのか、すやすや寝息をたてている。病室の入り口が開いて、ゆっくりと忍び足が近づいてくるのがわかる。何か投げてやろうかと空のペットボトルを握ったら、またすっといなくなる。しばらくして、男は看護師さんに連れられて戻って来た。他の人の部屋に入らないでください、何かあったら疑われますし、迷惑ですから、大人しく寝てください。どのくらい経ったか、今度は何やら警報みたいな音が鳴って、院内が慌ただしくなる。別の階からも宿直の職員たちが集まって来て、懐中電灯を照らしながら何かを探しだす。4Fで火災警報がなったんですけど、異常なさそうなんで戻ります、と、持ち場に帰る人たち。男はまたそわそわしはじめる。何かごそごそやって、バタン!と大きい音がした瞬間「なにをしてんねん!」と、アヒルの決闘の〇〇さんが怒った。男はブツブツ小言をいいながらまた出て行って、看護師さんたちと戻って来て、ついに病室からつまみ出された

2014年

3月

28日

 

桜が咲いてましたよー、と看護師さんが。外はもう暖かいらしい。「〇〇さん血糖測りましょうか」「はい、何?」「血糖!」「はい、アヒルのけ、、」「起きて!」「はい」最後まで言わせてもらえなかったけど、今間違いなく〇〇さんは「アヒルの決闘」と言おうとした。シャレのつもりだったはずだけど、そもそも「アヒルの決闘」自体が「真昼の決闘」のシャレなのか?食事のときカーテンの外から誰かの「いただきます」が聞こえて、そういえば入院以降、食事では「いただきます」をやってないことに気づいた。子供の頃からの習慣として、外食でも外国にいても毎日手を合わせて、いただきます、と言ってきたはずなのに、入院食を食べるときはそれを言わなくなってる。これってたぶん今の僕が、仰向けになった状態、普段「いただきます」をやるときの頭を下げる角度とは反対を向いた状態で食べてるせいだろう。実際に天井に向かって手を合わせて、いただきます、と言ってみて、やっぱりなんかしっくりこなかった。夕食のおかずは鶏肉とシュウマイで、肉が塊で出たことに高揚する。これまで、お麩を出汁に浸したようなやつとか、お麩を出汁に浸して卵でとじたようなやつばかり食べていたから。こんなことならもっと早くから通常食にしてもらえばよかった。塚原レコメンドで「かむろば村へ」いがらしみきお。「I」や「羊の木」などの近作を読んでるせいで、これもいつかなにか不吉なことが起こるんじゃないかとドキドキしながら読んでしまう。人間は勝手に問題をつくりだして、そのことで勝手に悩む。なにもしなければ楽なのに、それができない。入院してるときに読むには最適のお話

2014年

3月

27日

 

人づてに届けてもらった音遊びの会「サウンドレスラー」をみる。これ、現場の中継で使用していた映像を編集しただけなのに、さすがランカイ屋、さすが鈴木さん。ちゃんと記録としても成立している。そもそもが記録できない要素の多い公演ではあった。あの場にいた者だけが体験し得る熱とか開放感とか。でも、このなかには僕が理想とする音楽を捉えた瞬間が映り込んでる。ほんの一瞬だけ。それは画面上でみる限り、たいして盛り上がってない。さらっとあるところがまたいい。 Eh you! What the fuck did you do to yourself you goddamned mother fucking asshole? What the fuck is this shit, man?  リーから届いたお見舞いメールの冒頭がひどすぎるのでそのまま翻訳機にかけたら「えっ、あなた! 何、畜生、あなた自身にあなたに神をもたらしましたか、最悪と性交する母親を非難した? 何、畜生、この糞、人である? 」となった。意訳すると「どうしたの?大丈夫?心配しています」ということだろう。新しい部屋にも慣れた。毎日やることも決まってきたし、寝たまま食べることにも体が馴染んできたようで、日に日に食欲が増してる。食事の内容も、これまで胃にやさしいものばかりだったのが少し変更になって、味付けも濃くなった。あまちゃん、ついに最終話まで見終えて面会にきた人にいろいろ話すんだけど、みな半年前に見終わっているので温度差がすごい

2014年

3月

26日

 

怪我から3週間め、レントゲンを撮る。放射線科まで行くのに、ストレッチャーに移され、エレベーターに乗って、降りる、と同時にふっと吐き気が。 普段から寝たきりでいると、こんな些細なことで酔ってしまうのか。帰りのエレベーターに同乗してきた職員から、煙草のにおい。日頃は愛煙家なので、煙草のにおいは懐かしい。病室は禁煙で僕は動けないので、入院してからは一服もしていない。とくに吸いたくて仕方ないということもなく、なんとなくこれはこれで自然なこととして受け入れてしまってる。そもそも病室には煙草が似合わないけど、外に出たら、この辺、とくにO才をやった界隈は、映画館でも皆上映中にプカプカやってるし、ここではそれがよく似合ってる。退院して最初の一服はやっぱり喫茶店かな。退院するころはもうイチゴジュースの季節は終わってるだろうけど。新婚の西川夫妻と、6月の結婚おひろめパーティの打ち合せ。思いつくのは最高にくだらない、バカバカしいアイデアばかり。笑いすぎて、終始キズが揺れるのを感じていた。いいパーティになりそう。8月に出演予定のスイスのフェスティバル、ディレクターのサンドロさんがソウルで僕の怪我のことを耳にしたらしく、大丈夫かというのと、来れるのか、という心配のメール。もちろん行く。真夏にコルセット巻きになるなら、大阪よりスイスのほうがいい。お見舞いでいただいた長崎の九十九島せんべいがおいしい。自分ひとりだけでなんでもしようとする人が病気や怪我をするという考え方は、なるほど一理あるなとおもったが、やっぱりその逆も言えるのではないか

2014年

3月

25日

 

怪我がなければ今日から東京入りして、明日からはハイネと篠崎さんの新作を見据えた制作とWSの予定だった。篠崎さんがちょくちょく現状報告のメールを送ってくれる。今回の僕の参加はなくなったけど、プロジェクトとしては、この先もなんらかのかたちで継続的に進行していくとおもう。来月行く予定だったヨーロッパの件については、事務的なことも含めたメールのやり取りを信頼できる人にお願いして助けてもらってるのだけど、パリのフェスティバルに一緒に出演する予定だったザビエとは、長年の友情もあって、直接もやりとりしている。ライブでは、僕の代わりはクリストフというパリ在住のビジュアルアーティストの出演が決まったそうで、別でやる予定だったインスタレーションは、ザビエ自身が代役をつとめるらしい、というか、Umechan(と呼ばれてる、ヨーロッパの友人にはわりと)の代わりはできないけど、できるだけのことはやったよ、って書いてるので、どうやらもう設営も終わってるらしい。このフェス、他にはサーストン・ムーアとリー・ラナルドが同じ日にそれぞれソロ演奏をしたりとか、ブリジット・フォンテーヌが歌ったりとか、、、ああ、ミーハーな心理で単純にその場を目撃したかった。本当に残念。カーテンの外で、同室のおじいさんが退院して行った。ここのん味付けうすいやろ?出たら、もっと味の濃いもん食べたいねん。昨日もひとり出てったような気がするので、移って3日めだけど、日に日に静かになっていく印象。現段階、僕をいれて3人かな、おそらく。ひとりはブーブーブーブーおならばっかりしていて、もうひとりは鼻歌ばかり歌ってる。今も唐突に、ね、ら、い、う、ち〜、とワンフレーズだけ。音程はいつも同じだけど、フレーズが違うので違う歌だと認識できる。そういえば以前、東西屋の林さんが、日本人は音色をきいていて音程をきいていない、という話をしていた。松井さんの飛田会館レポート最終回。見送るように立っていると、何人もの人に「あのーそれは何だったんですか?」と日記帳のことを聞かれた。思い残さないようにという感じで。「鍵のかかる日記帳は昔お姉さんたちに人気でした。骨董品屋さんに教えてもらって、私は気に入って手帳にして金庫に保管しているんです」と答えた。「毎日これされてるんですか?」「はい。毎日。1日4回」「あ、、、そうですか」。疲れて集中力に自信なくなってた時は、話しかけられないように廊下を戻って奥の階段を登って退場していた。みやけをくんに「帰るときかっこよかったですね」と言われた。はずかしい。何かいかにもエンディングっぽいから。そのうち一度は、わざわざほとんど誰もいなくなった頃を選んで 笑 地図を拡げて降りてくるハイネさんファミリーとすれ違った

2014年

3月

24日

 

同室の人たちが自力で歩き回ってることが、緊張のもとだったりする。他の人よりも迷惑をかけてしまうかもしれないとか、そうしないためにはどうするかとか考えると、看護師さんを呼んだり、何かを頼んだりすることにためらいが生じる。でもそんなこと言ってたらこの先やっていけないので、きちんと自分の要求をつたえられるようになろうと、あたまの中で何度もお願いするタイミングをシュミレーションして、次に来たとき言おうと決めて、お願いしそびれたら、次こそは、また言いそびれたら、その次、って具合にだんだん先延ばしになって、結局我慢できなくなって、すみません、尿瓶が満タンなので捨ててきてもらえませんか?とコールすることになる。そもそも緊張は本来の姿よりも自分をよく見せようとすることが原因でおこる心理状態なので、はやいとこ、自分はなにもできないのだ、ということを認めなければいけない。でも、どうすればいちばん迷惑をかけずに済むのかをかんがえるのも重要で、実際それで、僕はトイレ問題について進歩することができた。できる限りのことは自分でやる、でもできないことはできない。あたりまえのことなんだけど、そのさじ加減の問題。今日はわりと付き合いの長い知り合いたちが来てくれた。お麩ってああみえてけっこう栄養あんねんで。えーそうなん?そうやがな、有名な話や。あれって何でできてんの?なんでできてんのって、それはなあ、あれやんか、、、そういうことは看護婦さんにきいたらええんちゃう?面会時間の最後に居合わせた人たちが片付けをしてくれたおかげで、身の回りがスッキリして、ものが扱いやすくなった。寝る前にエーボンのブラウニーを食べて、ついに蒸気アイマスクをつけて寝ることも叶った。骨折すると骨が強くなるというのは迷信らしい

2014年

3月

23日

 

起きたら李さんから、今日も昨日もとてもよかったとメールが届いていた。初日については疑問もあるけど、記録のビデオがあるのならみてみたい。部屋を移動するまえに、頭を洗ってもらう。たまにしかできない洗髪が、この生活でいちばんの楽しみになった。途中で急に西光さんが現れ、体を拭かれる僕を見て、ええなあ、とつぶやく。阿呆すぎる発言だけど、こんな状況でも、人にうらやましがられることがあるとは。たまたま小さい頃に住んでいた田舎の話になり、Googleマップで検索したら、主要なところはちゃんとストリートビューでみることができた。こんな田舎の僻地にまで撮影に行ってるなんて。さすがに僕が住んでいた家までは道が細すぎて入って行けないけど。30年もたってるのに、川が舗装されていたり、道にガードレールが沿わせてあったりする以外は、ほとんどが僕が住んでいたときのままだった。會田くんとせいちゃんたちが僕の大好きな飲み物を大量にもってきてくれて、でもそのせいで部屋を移動するとき看護師さんに呆れられる。今度引っ越した大部屋は、以前ほど、おじいばかりではない。カーテンの外で歩き回ってる音や、独り言や鼻歌なんかも頻繁にきこえる。たぶん寝たきりは僕だけだろう。夜になって、以前から準備していた丸亀の展示のメンテナンス作業がはじまった。とてもシンプルなことをやるはずが、通信におけるミスコミュニケーションで複雑化してたいへんなことに。でも最終的にはなんとか作業も完了して、ほっとして眠る、はずが、眠れない。同室の人のいびきや歯ぎしりや独り言が気になるのではなく、眠れないからそれらが気になりはじめる。動けないストレスで、しばらくすると胃潰瘍の兆候がでてくるから、薬を飲まなければいけない、と主治医の先生に言われたことを思い出す。作業がうまく進まなかったことだけじゃなく、新しい部屋の環境に緊張しているのだとおもう。電話が壊れたので、しばらく通信のツールはパソコンだけになる。事故で〆切を延ばしてもらっていた原稿を書き上げた

2014年

3月

22日

O回裏

問題点を解決すべく、助っ人としてキムさんに来てもらう。というのも、昨日到着からそのままリハも無しで本番に出演してくれた小6のヒョンジュンくんは、キムさんの甥っ子。今日のプレイヤーはヒョンジュンくんと、高校生のジイェさんとサンヒョンくん、と、社会人の捩子くん。ほぼ一晩で全員分のセッティングをつくった捩子くんひとりだけがライブの仕組みを完全に理解しているので、これを他のメンバーに伝えてもらいながら、今日の流れをつくっていく。リハーサルの段階でかなりおもしろい、ような気がする。解像度の荒い小さなモニター越しでしか現場を見れてないけど。音声もほとんど返ってきてないけど。タイムラインを上書きして、尺もぎゅっとタイトになった。李さんと僕は闇で通信しておく必要があるので、テキストをやりとりしながら本番へ。出だしから緊張感があって、プレイヤーが入れ替わっていくことがうまく機能している。中盤、李さんから闇で、良いね、の文字が届く。うん、とてもいい。昨日はあまりに突っ放した内容で、そもそも僕らが何をやろうとしているか、というところを説明する気もなかったけど、今日は最後に、サンヒョンくんがひとりで、お客にむかって挨拶をする。梅田は今日ここに来ません。現在日本の病院に入院中で、2ヶ月後には退院できる見通しだそうです。本日はご来場ありがとうございました。僕の名前はサンヒョンです。今日初めてドライアイスに触りました。そもそも僕は、梅田哲也のことは、何も知りません。(頭を下げてもとの席に戻る)。拍手を聞くより前に通信を切った。準備にバタバタで食べることが出来なかった昼食の代わりに、渡邉くんが買って来てくれたにぎり寿司を食べる。たった4貫だけど、病気になるほどおいしい。ソウルに行くことはできなかったけど、もともとやろうとしていたこととは違ってしまったけど、この状況をサポートしてくれた人たちのおかげで、無事に本番を終えることができた。参加してくれたプレイヤーは、全員とてもよかった。なんでこんな優秀なメンツが揃ったかなあ。もうちょっとアホっ子やポンコツでもよかったんだけど。あとで写真が送られてきて、それを拡大して見ながら、皆こんなに幼い顔してたのか、おどろいた。現場のセッティングまでやってくれた捩子くんには、かなりストレスをかけてしまった。退院したら精一杯ねぎらおう。怖い話で。今日も渡邉くんは座ったまま寝ていた。でも、いい画が撮れました、と言って帰ってった。これでもう、しばらくライブは休業。明日にはまた、大部屋に移動する。以前とは違う部屋になるらしい

2014年

3月

21日

O回表 

朝からテクニカル面の確認。お互いに動画が固まらないようにネット回線を安定させるのと、僕が会場の音声をモニタリングできるように返しを準備してもらう。李さんがワイヤレスのハンドマイクをもって話しかけて来るのが、現場のリポーターみたいで可笑しい。その奥で、タイムトライアルのように小走りで練習を重ねる捩子くんと高校生のジイェさん。画質があまりよくないので何をやってるか細かくは把握できないけど、遠目にその姿をながめてるだけで涙が止まらないので、いったん中継を中断して深呼吸。ただのセッティングで、これはいったい何の涙だろう。でも、いざ本番となると感動する余裕なんてない、というか、内容もいまひとつ乗り切れない、なんか惜しい。そもそもセッティングに手間取ってリハーサルもできなかった。でも中盤まではとてもよかったし、狙ってるポイントは間違いない。お客が入った状態をみて、空間に必要な動きもはっきりわかったので、明日はよくなるだろう。途中で病室に渡邉くんが到着したものの、長い長い渋滞を抜けて来たらしく、たこ焼きを食べたあとで座ったまま眠ってしまった。外があたたかいので、と看護師さんが窓をあけてくれた。今日から春らしい。明日の内容を間違いないものにするために、現場を想像しながらセッティングの画を描きなおす。なかなか眠れずたまむすびのポッドキャストを聞き続け、ようやく眠ったころ机からラップトップが降って来て、口元に突き刺さる。真夜中の病室で、地味な出血

2014年

3月

20日

 

個室は窓が東向きで、朝日がおおきく差し込む。外が見えなくても、毎日の天気がわかる。ギブスのテープを貼りなおしてもらったら、Tシャツとの隙間から粉々になった大量のビスケットが。食べながら寝たのかな。ソウルの公演に僕の代わりに出演してくれる高校生2人と、モニターごしで対面。火の扱いを注意しながら、やってほしいことを説明していく。2人とも背中を丸めて座ってるだけですばらしい。なんだかほっとする。それぞれに単体でライブしてもらう時間があってもいいかもしれない。以前から口約束のようにあった6月のイベントに、あらためて一週間参加できないか、というメールが届く。別の予定との兼ね合いもあったけど、なんとか調整つきそう。とおもったら、それより後に催される僕が参加した展覧会の巡回展には、声がかからない報告の電話。理由の一つに怪我を気遣ったような説明があったけど、そこは普通に、今回は必要ない、でいいのではないか。と、電話をきってからおもう。松井さんから、飛田会館の手記、中編。やっぱり夏木さん本人登場はすごかったです。入口入った時からロビーにオケが響き渡ってた。4回にわたって0才のためにずっと歌ってくれました。偶然なんだけどイントロ終わりでタイミングぴったり扉をあけると赤い革ジャンの人が歌ってる。音楽聴こえてはいたけど、みんなまさか生で人が歌ってるとまでは想像してないから訳がわかりません。どうやら歌が終わったな、とわかったので、說明をやめて拍手すると、お客さんのかたまりは、またも訳わからず拍手。夏木さんも会釈。曲は何だっただろう歌い上げる感じの昭和の歌謡曲。一体どうしたものかと頭をくるくるさせてたから正直歌は覚えてないなー。しかもハイネさんたち毎回ホワイトボードに足のパフォーマンス、してるし!!!何だろう×何だろう×夏木さんも何だろうと思ったはずだけど、さすが、いい感じにスルーしてくれてました(そういうわけじゃない?) 一部抜粋、後編につづく

2014年

3月

19日

 

怪我から2週間め、朝からレントゲンを撮る。経過は順調、つまり悪化はしてないということで、骨がつき始めるまでにはまだまだかかるらしい。先生からあらためて入院期間と退院後の見通しの説明を受ける。6月の予定はぜんぶやるつもりでいるけど、内容は体調に応じて変わるかも。でも3~4年前に展示の準備で右手をやったときも、それきっかけで思いもよらないアイデアがたくさん生まれたので、そういうことには期待している、今回も。個室に移動して、捩子くんと映像チャットでやりとりしながら、公演の準備。大部屋だと消灯が早く、携帯電話などの通信機器も使用できないので、中継をやるには個室が必須。でも、個室は決して安くはない宿泊料がかかり、保険も適用外なので、公演が終わったらまた機をみて大部屋にもどることになる。捩子くんは何の疑問もないように、淡々とセッティングをこなしていく。僕が自分でやれないことが、ただただ申し訳ない。松井さんからO才飛田会館で起きたことのレポートが届く。例の酔っ払ったAさんは、入ってくるなり、体感では10cmの至近距離まで顔を近づけてきてゆらゆらしてました。ラリってるに近い感じ。つい「大丈夫ですか」と普通に言ってしまった。くやしいわあ。何があろうと、こちらから声などかけるべきではありませんでした。あまりに悔しかったので(自分が)屋上でセルフ逆ギレ。つかつか寄って行って非常階段を指さして「階段です」と言って、しばらく見つめてから立ち去ったら、後ろで「なに、わ、わからへん、わからへん」と聞こえたので、ちょっとすっとした。注:怒ってませんので、よろしくお伝え下さい。これは泥酔で展示をみにきたAくんについての記述で、どのエピソードもすこぶるおもしろい。最後は「つづく」で締められていた。夜遅くに、再度ソウルの会場と映像チャットをつないで、現場の確認。捩子くんがついさっき見てきたというボムのプログラムについて話してくれる。その話し振りで、面白いのが伝わってくる。きちんと時間をかけて、その場で準備されたプログラム。捩子くんはそれをみて、明後日からの本番が不安になったらしい。こういうときは、いつものこと、当たり前のことをただ丁寧にやるとよい。明日は高校生も現場に来てくれるそうなので、今より見通しが立つだろう。甥と姪と知らない子供から、誕生日のボイスメッセージが届いていた。ベッドの名札にある年齢を書き換える。NHKオンデマンドで、あまちゃん鑑賞。年末から見始めて、やっと100話まできた。この辺やたらお寿司を食べるシーンがあるので、食べたいものリストにお寿司を追加する。個室にくると、つい夜更かしをしてしまう

2014年

3月

18日

 

中利さんの記事を書き終える。焼山に到着するなりすぐ中利さんと再会して、スノーモービルで山に入ってって、晩酌まで一緒にすごして聞いてきた話。書きながら、この先ますます加速して行くであろうこの人の生き方を現すのに最適な媒体は、紙ではなく映画だとおもった。ドキュメンタリーじゃなくて、変わった人の伝記映画みたいなやつ。こんな遠い北の山までさ、わざわざ会いにきてくれるなんて、嬉しいよなあ。またおいでよ。そう言われて半日後、僕は腰の骨を折った。親切な看護師さんが、棚を持ってきて病室を片付けてくれた。モノがごちゃごちゃしてるのを、これまで他の看護師さんからも注意されつづけていて、でも僕は動けないから自分でなんとかすることもできず。生ものとかねー、ほんまダメですよ。これもあやしいなー、悪くなったもの食べたらおなかこわしますよ。あとこれ何ですか?事故のとき持ってたものがまだここに置いてあるん?はよ誰かに持って帰ってもらってください。これは?バファリン???病院にくすり持ってきてんの。ふーん。その後、入院して2度めの洗髪。これって、どのくらいのペースで洗ってもらえるんですか?うーん、ペースとか決まってないんですよー。だって他の患者さん、髪の毛が無かったり少ない人多いからねー。記事をかいていて、文字を打つのに、焦点があわない。子供の頃は目はよかったのだけど、ここ数年、視力が落ちてるのをはっきり自覚する瞬間が多々ある。去年の免許更新のときも、両目だとどうしても焦点がぼけるからとおもって、勝手に片目をつむって検査してるのがバレてえらく怒られた。両目で検査しなおして、ぎりぎり基準は満たしたけど。退院したらメガネをつくりにいこう。楽しみがまた一個ふえた。ソウルに捩子くんが到着したとの連絡。同時に、現地で探してもらっていた小学生がみつかった、と長内さんから。これで現地のメンバーは捩子くんと、高校生2人と、こどもがひとり。明日からまた僕は個室に移って、公演の調整に入る。同じ部屋の誰かが、南無妙法蓮華経、、を繰り返すなか、差し入れでもらった蒸気アイマスクを試そうとおもっていたら、いつの間にか寝てしまった

2014年

3月

17日

 


退院したら食べたいものをリストに書いてる。面会に来てた友人もやったことがあるらしく、しかもリストのひとつめはふたりとも同じで、うなぎ。僕のリストの2つめはトウモロコシの天ぷら。食べたことないけど、入院前に、歩いても歩いても、という映画でみて、ぜひ揚げたてを食べてみたくなった。うなぎも同じ映画にでてきたけど、これはその影響じゃなくて、篠崎さんの実家がうなぎ屋さんだという話を聞いていたから。もともと今月の終盤には東京で篠崎さんたちとWSをやる予定があったので、そのときついでに食べに行こうと決めていたのだった。病院の食事はおいしくないけど、ここでおいしいものを食べたいとはぜんぜんおもわない。むしろ、おいしくないくらいでちょうどいい。入院と同時にうちの棚から持って来てもらった本に、やっと今日手をつけはじめた。本は普段なかなか読まないので溜まってく一方だけど、こういうときに一気読みするため、と考えていつも買うようにしてる。そうすると、無駄遣いの罪悪感もうまれないし、実際、本は欲しいとおもったとき手に入れておかないと、一生読む機会を逃してしまう。折り紙をもらったけど、これは座らないとできない。でもハサミが一緒だから、切り絵なら空中でもできるか。ギブスで身体がガチガチに固めてあると、咳をしても同時に身体が振動しない。これでずいぶん痛みが軽減されていたのが、うっかり咳をやってしまうと、また骨に響くようになってきた。もちろん最初に比べたら大したことないけど。ギブスがゆるくなってきていて、とくに胸元は放っとくとTシャツが挟まってそのまま玉になるくらい、隙間ができてしまってる。毎日むしゃむしゃ食べて寝てるだけなので、痩せているのではなく、筋肉が落ちてきてるんだろう。そういえば、体重をコントロールするために進んで入退院を繰り返すハリウッドの役者の話を聞いたことがある。たしかにこんな環境だったら、痩せるも太るも簡単にできてしまうだろうな

2014年

3月

16日

 

病室は普段から静かなんで、相室の皆さん相当ご年配なんだろう。それでもリハビリの時間になると車いすで部屋の外に出ていなくなるので、朝食後のある時間からお昼までの間は、病室には僕しかいないんじゃないだろうか、てことが時々ある。カーテンの外は見れないし、腰を上げることもできないので、憶測でしかないけど。こんなとき、この狭い空間の中で仰向けになってることがだんだんと不思議におもえてくる。実際に見えているものなんて、狭いカーテンに仕切られた狭い空間の、よくある天井紙の模様だけで、実際に聞こえているのは、空気清浄機の音と、時々伝わって来る洗濯機の振動だけ。でも、本を読むことで、映画をみることで、音楽を聴くことで、自分はどこへだって行ける。実際に動けないことや、体験できていないことに対する歯痒さやもどかしさのようなものは無くて、ただただ楽に、世界とつながっていられるような感覚がある。でも、そんな状態はつづけられない。パフォーマンスの準備があり、原稿の〆切があり、展示のメンテナンスがあり、それ以前に、保険の事務手続きがあり、先の仕事の調整があり、それよりもさらに手前に、日々の食事があり、排泄があり、歯磨きや着替え、起床、睡眠がある。そういった当たり前のことが上手にやれないから、そこに歯痒さやもどかしさが生じる。外の世界とつながろうとしてはじめて、世界との断絶がうまれる。今日は配膳されたごはんと、歯磨き後に口をゆすいた水をベッドにひっくり返してしまった。げんなりしたけど、おかげでシーツと布団を替えてもらえたので、よかったともいえる

2014年

3月

15日

 

スカイプのテキストで指示しながら、捩子くんにスタジオの荷物をピックアップしてもらう。みつけられなかったものは、材料と道具を病室に持って来てもらって、仰向けのまま必要な分だけこしらえる。持っていけないものについては、ソウルに準備をおねがいする。おもったよりスムーズにことが済んだ。でもソウル側との連絡がとりづらい。僕が入院という状況だけじゃなく、きのうがフェスティバルのオープンだったので、主催側も忙しすぎて手が回らないのだとおもう。本番までにきちんと内容を共有して準備できるだろうかが、ちょっと心配。看護師さんが、濡れタオルで身体の届かない箇所を拭いてくれて、同時にギブスの淵のところ、テープで肌が少しかぶれてしまっていたところを貼りなおしてくれた。ギブスの中のかゆみが、いちど気になりだすと、とことん気になる。放っとくとそれはそれでなんとかなるし、少しでも掻いてしまうと、他の箇所もどんどんかゆくなってくる。去年の夏ハチに刺されたとき、アレルギー反応でまず全身に赤い発疹がでて、猛烈にかゆくて、かなりハードな状況ではあるのだけど、指でワシャワシャと全身をまんべんなく掻いていくと、これが信じられないくらい気持ちよくて。いちど掻きはじめると、もう、ずーっと掻きつづけるしかないけど、掻いてる間は意識を失ってしまうくらい気持ちがいい。でも病院で診察を受ける段階で、薬を塗って我慢するのは、本当に辛い。そこからしばらくは耐える時間。かゆみって、依存性の強い嗜好品と一緒だな。今月あたまにスタートした丸亀の展覧会、僕の展示の一部分に不備があり、本来、自分で仕上げに行く予定だったのが行けなくなったので、手元にある作品のパーツをあつめて送ってもらったり、搬入の人員も必要だったりで、各方面バタバタとおねがいして手配しているところ。でも展覧会はいまもオープンしていて、早くやらなければという焦りがあるからなのか、よく夢にみる。仰向けのまま両手で床をずるずると移動し、展示室で作業しようとするも、体制のせいで要領が掴めず、いっこうに進まない。そのうち美術館のスタッフは僕のスペースを隔離していなくなり、かわりに本を読む静かな場所を求めた人たちがそこに集まってくる。ほとんどの人が同じ児童文学をよんでる。今朝のは、そんな内容だった

2014年

3月

14日

動揺

ついこないだ東京に帰ったばかりの捩子くんが、また病室に戻って来て、ソウルの打ち合せ。去年僕がロンドンでやったライブと同じセッティングが複数あり、これを捩子くんを含む数人がタイムラインに沿って実演する。それから、、みないな内容になる予定で、ここにO才ですばらしいアクションをみせたゆうすけ君を誘ったら最高なんじゃないかとおもって親に確認したら、パスポートがなく、今からでは申請が間に合わないとのこと。学校はちょうど春休みに入るし、タイミングとしてはバッチリだったのに、思いつくのが一歩遅かった。看護師さんの一人から、梅田さんググったよ、と言われ、全身に冷や汗が。この日記にたどり着かれてしまったらどうしよう、ってことばかり頭をよぎって、人差し指を口にあてて、悲痛な顔で、ナイショニシテクダサイ、と訴える。やばいやばい、動揺しまくった。きのうソウルの件を相談したからだろう。病室がまたごちゃごちゃしてきた。本格的に棚が必要な気がするけど、そんなもの持ち込んでいいんだろうか。保険のこともごちゃごちゃしてて大変だけど、確定申告のこともすっかり忘れていた。退院してからやるのも可能だけど、捩子くんがうちに泊まってるので、とりあえず領収書を持って来てもらおう。ブレーカープロジェクトの面々と、O才後のリアクションの意見交換。おもしろい話がどんどん出てくるので、これはまた期をあらためねば。事務所に届けてもらった、ベッドに仰向けでタイプできるパソコンデスクで、今これを書いてる。ずいぶん書きやすくはなったけど、やっぱり腕がつかれて長時間はつらい。同時に十和田で録ってきた中利さんのインタビューを校正している。熱のある、おもしろい話がたくさん。校正にも勢いがあるので、このままここに書いてしまいたい。月末発行のマガジンで読めるはずなんで、完成したら、また

2014年

3月

13日

洗髪

きのう大家さんがうちから上着を持って来てくれたので、よく眠れるようになった。アタマ洗います?ときかれて、おねがいします、と言ったもののどうやるかとおもったら、オムツをたくさん頭の下に敷いてベッドの上でそのままシャカシャカ。洗い終わったらコップみたいなのにお湯をくんで濯ぐ。オムツってすごい、こんなに水を吸うんだ。洗ってもらいながら、この機会にとおもってソウルの件をなんとなく切り出してみる。来週末にちょっとしたイベントがあって、そこで発表をしないといけないんですけど、この病室から中継で出演してもいいですか。他の方に迷惑にならない範囲でやるつもりで、でも、もしよければまた個室に移動して、病院の皆さんともちょこっと絡んだりできたら、本当はうれしいんですけど。それってどういうやつですか?なんか喋ったり?カメラがきたり?どうかなあ、私じゃわからないんで、師長に訊いときますね。頭はすっきりしたけど、今度はギブスの中が、ときどきピンポイントでかゆい。隙間ができてきたのかなあ。師長さんの話だと、先週末みたいなかんじで中継してもらうのは構わないが、個室に空きがあるかどうか微妙、とのこと。少なくともこの病棟(フロア)は埋まってるので、移動になるかもしれない、そうすると、スタッフ看護師みんな総入れ替わりだそうで、ちょこっと絡んだりとかそういう話ではぜんぜんなくなる。まあそもそもが無茶な話なんで、それならそれでいいかってことで。とりあえず他のフロアであっても、この先個室に空きが出たら知らせてもらうことにする。ずっと仰向けは、本を読むのもすぐに腕が痛くなる。ゴロゴロするのとはやっぱり違うなあ。お見舞いメール、ありがとうございます。返事が退院メールじゃ遅すぎるか

2014年

3月

12日

面会

みんなが本気でつくったものが、10年や20年そこら時間が絶ったくらいで色あせるわけがないんです、とは、O才の準備中に出回った㊙色情めす市場の田中登監督。人とか目に見える事物を媒介にして、目に見えない、非人間的な、世界の向こうが輝いている!というのが美術。今、ここにある人と事物そのものが素晴らしい、世界をそのまま肯定だ!というのが映画。ようは、やはり人をどう考えるのか問題に尽きる、と話すのは、O才に来てくれた別の友人。あの作品について、またはその延長上にあるCDについてのメールが届いている。イベントとしては終了したけど、作品は終わらない。面会の人は、入室のタイミングに何のチェックも受けていないらしい。もしもその瞬間に、僕がトイレや着替えの最中だったらどうしよう、と不安になる。なかなかにすごい体制になってるはずなので。毎食、おかずに対して粥が大量で、きのう松井さんが差し入れしてくれた鯖フレークを一日で平らげてしまった。トイレに不安が無くなると、食欲も倍増する。となりに新しく入ってきたおじいがどうやら問題児(じい)らしく、看護師さんにおこられてばかり。短気で、しょうもないことですぐにナースコールを使うもんで、どんどん扱いがぞんざいになって、今の地点でもうすでに、コールをしても電話口で説教されてる。消灯してもずっとぶつぶつ文句を言ってるので、ついに別のおじいが、うるさーい!と吠えた。カーテンで仕切られてなにもみえないんだけど、みえないからこそ、想像がはたらく。もっと映画がみたい、本も読みたいけど、その前にやることが、なかなか減ってってくれない

 

2014年

3月

11日

トイレ

4月に出演予定だった2つのフェスティバルのキャンセルの件で、病院に診断証明書の申請。どちらも楽しみにしていたイベントで、とくにパリでは、高校生のとき大好きだったミュージシャンと初対バンの予定だった。5月にフィリピン山岳部の村で予定していた合唱団のプロジェクトは、時期をずらして仕切りなおす方向。ギブスのおかげでからだを固定したまま横にゴロンと転がれるようになったので、僕はついに自分で自分の大便の準備と後処理ができるようになった。もよおす→看護師さんをよぶ→ベッドにおむつを敷いてもらい、おむつとおしりとの間に便器を差し込んでもらう→ひとりにしてもらう→済ます→看護師さんをよぶ→あと片付けしてもらう、というのが昨日までのやり方。これがもうたまらなく嫌で、イヤでイヤでイヤで、これまで毎日の食事を減らし、お粥にしてもらい、お腹に悪そうなものは食べず、便意をもよおしても呼吸法でなんとか落ち着けながら、いつもぎりぎりまで我慢して、回数を極力減らしてきた。そもそも体質的に消化が早く胃腸が活発なほうなので、間違っても一日数回の快便状態なんかならないように気をつけながら。でも、もう心配いらない。便器を持って来てもらって→そのまま放置してもらい自分でことを済ませ→便器をもって帰ってもらう、というのが今日のやり方。しかも、おしりから便器を外すと同時に巧いことチリ紙で全体を覆ってやることで、臭いも外に逃がさず閉じ込めることに成功。自分でおしりをきれいにして、自分でパンツを履き、手を消毒してナースコールをしたときのあの清々しい気持ちといったら。これでやっと、今後は気兼ねなく食事ができるようになった。まさに心身ともにスッキリ。消灯前、隣りのベッドから聞こえてくる会話。家族は?おらん、親も?いてない、兄弟は?おったけど、どこにおるかわからん、何人兄弟?5人、でも何十年も会うてない、生まれは?徳島、いつから大阪におるん?忘れた。じゃあ決めてや、明日から病院移って放射線治療やるか?・・・やれへんのか?・・・やろか、ね?・・・うん。よっしゃ、じゃあ明日の朝、移るで、おれも一緒に行くからがんばろうな、うん

2014年

3月

10日

ギブス

個室から6人部屋に移動したくない。正直こんなに行きたくないのは義務教育以来。でも展覧会も終わったんだから、仕方ない。全身にギブスを巻くための準備として、最初で最後のシャワー。ストレッチャーに移され、運ばれながら、シャワー室に入ってからも、ヘルパーさんからいろいろと質問攻めにあう。梅田さん、評判やで、異質やって評判、だってきのう外人さんきて喋っとったやろ?大きい荷物もって、外人が関空から直接見舞いに来たで〜ゆうて、えらいこっちゃ〜ゆうて。外国とか行くの?ヨーロッパとかも?何の仕事なん?なんなんそれ?ようわからんけどすごそうやな、プロジェクトとかいうてるもんな、その地点でもう異質やわー、あーもうどうしよ、いつもじいさんしか洗てないから無理やわー、自分でやれる?やってもろていい?なんでこの病院なん?ここ、どういう病院か知ってる?じいさんばっかやで、しかも家ないとか仕事ないとかそんなんばっかりやからな〜。搬送されてきたん?ウソやん!すご!青森から?まじで?ぜったい青森で入院したほうがよかったで。帰る?あはははは。実際のところ、僕がおじいでないこと以外はそれほど異質でもないし、外人さん〜のくだりはハイネのことを勘違いされたらしい。このまま病室を移動して、個室から大部屋に移る。窓際にしておきましたよ、日当りいいでしょ。なるほど、第一印象としては、おもっていたより広いし、静か。少し安心する。東京へ戻る皆が直前に立ちよってくれて、最後のお別れ。いろいろお世話になりました。捩子くんが昨夜、ソウルのフェスティバルボムのディレクター、李さんと電話で話したことを伝えてくれる。この先3ヶ月の仕事は全部キャンセルしてるけれど、ボムは近々過ぎて、チケットも販売してしまっているので、今からの中止がなかなかに難しい。なんらかのかたちで公演を実現できないか、と李さんは考えているとのこと。となると、やれることは本当に限られている。もともとは現地の中学生30人と会場を占拠する予定だったけれど、僕が行けないんだから、これはもちろん不可能。実現できそうなアイデアを話すと、やれるやれる、梅田くんならやれるよ、と捩子くん。じゃあやるか、という話になって、渡邉くんの予定も抑えて、あれよあれよと公演内容が決まってしまった。僕も手伝えますよ、と會田くん。期せずして、また同じメンツでやることになった。「おじいちゃん、ごはん食べるの好きでしょ?ごはん嫌いですか?好きですか?」「はい。」「いや、はいやない。ごはん食べるの、好きですか?嫌いですか?」「ああごはん、はい。」「はいちゃうがな、好きですか!嫌いですか!」「はい。ごはん、、」「はいやなくて、好きか!!嫌いか!!!」「はい!」「、、もうええわ」診察室へ移動して、ギブスで全身ぐるぐる巻きになる。巻かれる間は、なかなかに我慢の時間だった。胸から骨盤までがカチコチに固定されて痛みが軽減されたけれど、おしりのところでギブスがなくなって段差になっているので、これまでより寝るのが大変になった。部屋もこれまでより寒い。これからはクッションと上着が必要だ。眠れないまま朝になる

2014年

3月

09日

中継

O才、最終日。終わったらすぐに帰ってしまうハイネと篠崎さんが朝から病室にさよならをいいにきてくれて、今回現場でやってきたことや、予想外の出来事についてひとしきり盛り上がって、小説書くんでしょ?といってメモ帳とボールペンを置いてった。小説は書かないけど、ペンと紙はありがたい。先週は5才の娘ミユちゃんも一緒に数々の名場面を生み出してくれた。ミユちゃんは最後、街灯に照らされた路地を何度も何度も振り返りながら手を振って、東京へ去っていった。去年、アイスランドのフェスで2人と一緒になったとき軽い気持ちで、今パフォーマンスの要素が強い展示を準備していて、本当は2人に来てほしいんだけどねー、みたいなことを話したら、数日後に篠崎さんから詳しく内容を聞かせてほしいとメールがきて、その次の瞬間にはもう、おもしろそうなので行きます、という連絡をもらった。ベルギーに住んでるのに、このフットワークの軽さたるや。次は僕が2人の作品でこの借りを返す。O才は終盤、出番を終えた微々がウォンちゃんと現れ、その後さやさんがきて、ムッチがきて、西川くんがきて、看護師さんもきて、本番中継の途中にもかかわらず病室がどんどん騒がしくなっていった。わいわいしたところで6時をまわって、終了。各スタッフや参加者からも次々に終了のメール。ついに終わった。この状況でやりたくてやれなかったことも当然あるけど、最後までやり遂げることができて本当によかった。しばらくして赤松ちゃんが来て、皆の声きいたで!たまたま居合わせたとこで聞こえてきて、ひとりでずっと聞いとったんや、と嬉しそうに話す。最後だから、こんな終わりかたもいいかな、とおもう。入れ替わりで今度は渡邉くんと會田くんと捩子くんが来て、皆で今日の映像をみながら話す。金柑をかじるスタッフ。アキビンは、これまでで印象深かった場所やネコや亀にむかって、挨拶回りをしていた。酒店のおかあさんがせっせとCDを包み、手渡す姿。渡邉くんからお守りを2つ受けとる。噂を聞いた人からの心遣い。ありがたい。夜も深くなり、看護師さんにそろそろ、といわれて皆が帰っていく。と期を同じくして、いつもの叫び声がきこえてくる。おーい!おーい!おおーい!

2014年

3月

08日

個室

微々とまあやんが来て、病室を片付けてった。微々は学校のない土日だけO才に参加してるので、十和田から搬送される車の中から状況を伝えてあったのだが、このとき電話口で、やっぱりや!と言って、前日みた夢の話をしてくれた。O才の準備で会場に行くと僕がいない、のでスタッフの誰かに、梅ちゃんは?と尋ねると、病院、と返されたのだという。それできのうから心配しててん、って。別でO才の現場に参加してる、微々と同い年のなっちゃんは、幽霊が見えるらしい。怖い話とかじゃなく、自分には普通にみえていて、他の人にはみえていないことを普通に知っているだけ。いちどO才のなかでなっちゃんに幽霊のことをききながら近所をツアーしてみたことがあって、それを横目にみていた微々はボソっと、こどもはみんな見えてんで、と言った。うーん、、僕が子供のころはみえてなかったけど。でもトイレの花子さんとか学校の怪談みたいな、都市伝説のような話にはこと欠かなかったから、そういった、子供という集団が全体でつくりあげているシマはたしかに存在した。微々たちと入れ替わりで今度はひらきくんが会いにきてくれた。メロンが売ってなかったから、とメロンパンを持って。ロンドンに帰ってデールに見せるのだといってベッドに仰向けの僕を写真に撮り、かわりに愛娘ツバメちゃんの動画をくれる。ほんと、みればみるほどデールにそっくりな赤ちゃんは、現在O才。O才は今日もまたいろんな人に支えられながらやり遂げることができた。小6の名プレイヤーゆうすけくんも、僕の事故をうけて2度めの参加。僕はきのうとおなじように声だけの参加で、リアルタイムではあるけど、現場の空気感がわからないし、当然何もみることはできないので、状況はつかみづらい。でも終盤、アキビンオオケストラの音がだんだん近づいてくるのが聞こえてきて、そのいつもと変わらぬ淡々とした響きに、なんだかこみ上げるものがあった。ほんの1.4km先には、今日もO才の現場があるのだ、いつもと変わらぬ風景として。終了後はスタッフと出演者の打ち上げが三好でおこなわれた。僕にとってこの西成の山王飛田あたりにおけるブレーカープロジェクトとの関わりは今回が最後。3年前の福寿荘の展示のときも、最後は三好でたらふくご飯を食べた。今回はパフォーマンスのゲストが遠方から来ていたり、展示が終了した後の搬出を早く終わらせなければならないこともあって、最終日前日の今日、打ち上げをすることが決まっていた。僕がケガをしたことで打ち上げ自体なくなってしまいそうな空気が一瞬漂ったけど、それはホントにほんの一瞬のことで、やってもらったほうが気が楽だ、と伝えたら、ですよねー!みたいなかんじであっさり決行された。そして中継でつながれたパソコンの画面の奥で、みんな本当に屈託なくおおいに盛り上がっていて、あまりにうるさいのですぐ音声を切って放っといたら、しばらくして、おやすみ〜、のテキストと一緒に通話自体切られていた。この人たち最高だな、と腹の底からおもう。その後、建人さんと奥さんが病室をたずねてきて、展示の感想をつたえてくれた。遅くても面会が許されるのが、個室の特権なのです

2014年

3月

07日

再入院

病院で診察をうけるやいなや、自分でできる訳ないでしょ、と先生に一蹴された。でも小便をとるために管をとおすのはどうしても嫌だと食い下がって尿瓶にかえてもらった。入院はとりあえず2ヶ月、退院後もしばらく今のお仕事はできないよ、まあ半年は障害あるわ、ここ、ちゃんと治さんかったら、もう最悪やからね、最悪の事態が待ってるから。と、さんざん脅される。いまはまだここ西成でパフォーマンス型の個展「O才」がつづいていて、今日からはじまる週末の3日間は、あらゆる事態に対応できるよう、この個室で過ごすことになった。ネットで中継して、パフォーマンスも、これまでと少し形を変えながら継続する。さっそく西光さんがお見舞いにきてくれた。きのうの出発前に搬送の運転のヘルプを頼みたくて事情を話したので、心配していたらしい。何か必要なものあるか?と聞かれて、まだ何の検討もつかないでいると、看護師さんがアメニティのリストをつくってくれた。コップや歯ブラシに混ざって、おむつ、の文字。まあ、そりゃそうですよね、動けないんだから、と若い看護士さん。男の人で、なぜかほっとした。西光さんは展示を見にいくから、といってお昼に一度出てって、本番が終わったあとの夕方、遠藤くんと2人で差し入れをたくさん抱えて帰ってきた。メリークリスマス!といいながら、お菓子でパンパンに詰まったでかくて赤い長靴を枕元に置いてくれる。いまの季節にこんなものどこで買ったんだろう。O才は口コミがひろまっているらしく、先週くらいから、当日券の問い合わせが多くなった。遠藤くんは、展示の内容に乗れなかったらしい。細かいところも含めて、今回初めて直接きいた批評のことばだった。僕の動作における代役は、本来客としてきてくれる予定だった松見くんが快く引き受けてくれた。さすがの身のこなしで、順応がはやい。でも僕は実際にはその現場にいない。1.4キロメートル離れた病室から、会場の一カ所にむかって、合成される声のテキストをカタカタと書き込んでいる。財布の中に、映画のチケットが二枚入っているのですが、使えません、なぜなら僕は、この1.4キロメートル離れた部屋にあるベッドのうえで、よこになって、うごくことができないからです。夜、西光さんたちは帰り、渡邉くんが隠し撮りした映像をもってきてみせてくれる。内容は毎日かわる。毎日かえてもいる。映像をみながら気になるところがいくつかあったので、それぞれの人に連絡をとりながらの、確認作業。のち、十和田の焼山で撮った映像も一緒にみていたら、僕が墜落したあとでながれた、焼山の町内放送がばっちり収まっていた。ただいま、焼山地区、湯治の宿おいらせ付近にて事故が発生し、救急車、およびパトカーが発動いたしましたが、火事ではございません。その後、遠景に到着する救急車を屋上から抑えるロングショット。さすが、渡邉くん。看護師さんの手を借りながらセッティングを少し試して、明日に備えて寝るようとする。どこかの病室で「おーい!おーい!」と叫びつづける男の声。窓の外では警察ともめる若者たちの怒号。どちらも一晩中つづく。おかげで寝られたもんじゃないけど、ああ、西成に戻ってきたんだなあ、としみじみおもう

2014年

3月

06日

搬送

一日かけて、十和田の病室からここ大阪西成の病室へと移ってきた。絶対安静で身動きがとれないので、大型のレンタカーを借りて、後ろに布団を敷き詰めて。十和田の医者からは、前代未聞の搬送劇だと言われた。運転はほぼ渡邉くんひとりで、里村さんと會田くんがときどき交替してくれながら、走りっぱなしの15時間。到着したのが深夜だったので、しばらく病院に受け入れてもらえず、展覧会をやってる会場付近の駐車場で数時間を過ごすことになり、捩子くんと會田くんが宿の部屋から自分の毛布をもってきて僕にかけてくれた。移動中はトイレだけが問題だった。水分をとらずに用心していたのだけど、仙台をすぎたあたりでどうしてもおしっこがしたくなり、大変なおもいをしながら身障者用トイレまで運ばれていき、なんとかこれを成した。このとき、自分はこの先どうなるのだろうとおもった。入院がいつまでつづくか、まだこのときはっきりしていないのだけど、トイレだけはどうしても自分でやりたい。それ以外かんがえられない、想像するとつらい

2014年

3月

05日

墜落

救急車のなかで隊員さんが「墜落」という言葉をつかっていて、おもわず吹いてしまった。だって着地してないわけだから、墜落だべ。正確にいうとまあ、着地はしたんだけど、そのあと倒れたんで。僕はどういうわけかとっさの判断で、落下した距離を少し鯖よんでしまった。本当はヘリが来るはずだったんだけども、霧が濃ぐって、途中で引き返したのさ。救急車には里村さんが同上してくれて、そのころ電話がつながらなかった渡邉くんは警察の現場検証に立ち会っていた。病院につくと年配の看護師さんがストレッチャー上の僕の顔を覗き込んで、あれ、あなた見た顔ね、夏にスズメバチに刺された人でしょ?と言った。そうなんです、またおなじ場所でこんなことなっちゃいました。前回はアナフィラキシーショックというやつで、このときも何とかなる気がして、というかそもそも過去に刺された記憶なんてなかったから最初は放っといたんだけど、一緒にいた写真家のおねえさんが僕の異常に気づいて、時速200キロ(体感)で飛ばして僕を焼山から病院まで運んでくれたんだった。レントゲンとCTの結果、腰椎の圧迫骨折、背骨の節のひとつが、上下の圧迫で潰れてしまっていた。8メートル落ちたんだから、まあしょうがない、というかむしろ運がよかったかもしれない。入院生活の説明を受けながら、とりあえず明後日からの展示のために、どうやって大阪に帰ろうかとばかり考えていた