希望の原理

国東の盆踊りって途中でテンポがずれたりすごく変わっていて、でも観光客が踊れない、親しみづらいという理由から、どんどん矯正されて普通のものになっていく。こういう話は世界中どこにでもあって、音楽で言うとエスニックなエッセンスを抽出して取り込んだ普通のポップスみたいな、なんかそういうたぐいのものって、巷にどんどん溢れかえっていく過程で、もともとあった無自覚ないびつさや個性を削り取ってしまう。もしかすると作者の意図に反した部分で、無意識のうちに

いろんな価値観があるのはいいことだけど、誰も否定しようがないものについてはもうやらなくてもいい。否定しようがないほどあたりまえの美意識が混ざると、小さなたたかいはいつも崖っぷちに立たされる。目配せなんてなくてもちゃんと伝えられるし、ちゃんとそれを示せる人もいるんだから、そっちを信じてればいいとおもう

希望の原理展はいろんな意味で未成熟だとおもうけど、作家はそれぞれ小さなたたかいをしかけていて、そのたたかいには相手がいない。ただ黙々と淡々と、自分のペースで、日常的に。そのあたりが希望だな、と個人的にはおもいます。会場で読める遠藤くんのテキストはわかるけど、賛同できないところも多い。でも、そこがリアルだなともおもう。テーマは石なんだって。そういえば石も最初は山ででこぼこでも、川を流れるうちにどんどん角が削り取られて、下流に流れつく頃にはどこにでもある同じかたちの石になってたりする

雨宮さんに久々にあうなりいきなり豪速球を投げてしまって、でもいつものようにそれを打ち返してきて、いつものように変な方向に飛んでくのが愉快だった。身体が倍くらいになってた。速球に備えて毎日走ってるんだって