ベッドを45°起こすと、食事のとき目が使えるようになる。見て選んだものを取って食べるので、順番や食べ合わせを考えたり、時間を調節したりできる。みそ汁をお椀から直接飲めるようになったし、主食はお粥でなくてもいいので、スプーンより箸のほうが使いやすくもなる。いただきますをやるにも違和感がなくなった。同室の人の顔がちらほら見え隠れするようにもなった。看護師さんが出て行ったあとのカーテンの隙間から、斜め向かいのおじいさんの姿が見えたりすると、なんだか慣れない、落ち着かない気分になる。ラップトップの操作がやり易くなったので、この文章も昨日までより格段に打ちやすい。仕事のメール返信を渋ることへの、自分に対する言い訳ができなくなってしまうのがつらい。ただし副作用もあって、今朝はすこぶる体調がよかったのに、ベッドを起こしてわりとすぐ頭痛がはじまって、今もなくならない。回診に来た先生によると、急に体を起こしためまいみたいなもんだから、何日かかけて次第に慣れていくしかないらしい。手で首回りをほぐしたりベッドや枕の角度を変えたりするも効果がないので、仕方なく別の刺激で誤摩化そうとワサビふりかけをさらさら舐めてやり過ごす。アヒルの決闘の〇〇さんが退院していった。迎えに来た友人と一緒に出て行く姿がチラッとカーテンの隙間からみえて、おどろいた。思ってたよりずいぶん若い人だ。ぱっと見50代くらいで、わりと体が大きくて、表情もしっかりしている。あの体つきからあの声が出るなんて想像できない。話し声はふにゃふにゃで支離滅裂で、かなり年配の印象だったのに。姿を知ってしまうと、ぶーぶー垂れ流していたおならだとか、夜でもお構いなしでノリノリの鼻歌だとか、ベッドを叩いてリズムを取っていたことだとか、あらゆる行動に全く愛嬌を感じられなくなって、アヒルの決闘だって元ネタがあったかどうか怪しくおもえてきた。どうやら僕は、与えられた情報から、自分にとって都合のいい人物像をつくりあげて勝手に納得していただけだったらしい。今まで姿が見えてなくてよかった