ざわざわする時間

地震のことを知ったのは、ロンドンで新聞社につとめる友人からのメールだった。僕はまだ部屋にいたのか外で自転車をこいでいたのか、そのときには気づかないまま過ごしていた。ジャド・フェアーのツアー公演に早めに到着して楽屋で話を聞くと、宮城県沖で発生した地震で大津波がおきて、大変な惨事になっているかも知れないという。そのとき僕のあたまに浮かんだのは、名取の海岸沿いに住む友人のこと。焦って友人と連絡を取ろうとしたが、電話はつながらない。携帯からメールを送ってみたら、すぐに返事があった。慌てて打ったような文章で、自分は車の運転中で海岸沿いにおらず無事だったことと、自分の住む村が水に沈んでしまっていることが書かれていた

 

このメールを受け取った瞬間から、僕のなかには引き裂かれたふたつの時間が同居している。以前、車の衝突事故に居合わせたとき、スローモーションで近づいてくる相手の車を凝視しながら、ああ、これは死んでしまうかもしれない、と思った。あるいは、戦争がはじまる瞬間に居合わせてしまったかのような、そんな気分を一瞬のうちに味わった。死も戦争も経験したことなどない。だからこそ、得体の知れない感覚として、それを味わったのだ

 

いま自分のなかにあるもうひとつの時間は、この感覚の延長線上にある